偉大な指導者は忍耐する

「また、あなたのそばには、バフリムの出のベニヤミン人ゲラの子シムイがいる。彼は、私がマハナイムに行ったとき、非常に激しく私をのろった。しかし、彼は私を迎えにヨルダン川に下って来たので、私は主にかけて、「あなたを剣で殺さない。」と言って彼に誓った。

 だが、今は、彼を罪のない者としてはならない。あなたは知恵のある人だから、彼にどうすれば彼のしらが頭を血に染めてよみに下らせるかを知るようになろう。」第1列王記2:8、9

 

 

 

ダビデ王は、多くの敵と戦ってきました。また、身内にも悩まされてきました。

晩年のダビデはここで、後継者ソロモンに、謀反を起こす可能性のある者の名前を挙げて、知恵をもって処罰するようにと助言しました。

 

権力世界の厳しさを感じる所ですが、私は今回、ダビデ王のそれまでのふところの大きさが教えられました。

ダビデが最も辛く苦しい時に、ダビデをののしり、石を投げてきたシムイ。

その他、勇敢な軍団長だったけれどもダビデの命令に従わないところのあるヨアブ。

そのような人たちを、何らかの策略があったのかもしれませんが、とりあえず自分の在位中は、自分の配下に置いたまま、軍を統率し、国を導いてきたわけです。

 

世の独裁者は、自分に対して良くない態度をする者、またはそのように疑われる者を、すぐに粛清します。指導者としてやりにくいからでしょう。しかしダビデはそうしませんでした。

 

何らかの難しさのある人を、自分の配下に置きながらも、力強く導いていける人が、本当に偉大な指導者なのだと教えられました。それは簡単ではないと思いますが、ダビデは主に依り頼み、主の知恵と力をいただいて、それができたのだと思いました。

 

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割り当てられている人たち
あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。

あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。

第1ペテロ5:2〜3
| 聖書 | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
罪、救いについてはっきりと話す
今日は教会の婦人の地区集会でした。
イエス様を信じる前、たましいの叫びのようなものはありましたか?
という質問に対する、ある方の答え。

「それが何かはわからなかったけど、何か助けを求めていた。夫婦関係、子育てなどの悩みの中で。それで、キリスト教会に行けばやさしい人がいるんじゃないかという気がして行った。そこでは、年が上の人ばかりで、あんまりだった。話が、この教会のように、罪のことなどはっきり言わなくて、遠いまわりの話ばかりで、よくわからなかった。だからなぜ救い主が必要なのか、よくわからなかった。…」

今は、この教会で、私たちはみな罪人で救いが必要であり、罪のない神の子救い主キリストが十字架にかかって身代わりに罰を受けてくださり、復活され、私たちを救ってくださったということがはっきりとわかられ、確固とした信仰を持っておられる方です。

色々考えさせられるお話でした。
教会で、やさしい人が迎えてくれる。これは基本的なことかもしれませんが、大事なことだと改めて教えられたこと。
罪とその罰について、キリストの十字架による救いについて、はっきりと語ることが大事であること。色々気にしたり、気をつかいすぎたりして、まわりくどいはなしや、神は愛だ、恵みだ、と耳ざわりの良い話ばかり話しても、本当に求めている人にとっては、かえって「なんだかよくわからない話」にすぎないことになってしまうこと。

多くの人は聞かないかもしれませんが、本当に求めている人にとってよくわかる話ができる者であれるように、はっきりと話せるように、と願いました。

※使徒の働き16:9〜10
ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。
| 聖書 | 23:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
この方はご自分のくにに来られたのに…
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

ヨハネの福音書 1:9〜13


救い主イエス・キリストについて書かれているところです。
あるときイエス様を伝える者として、少しさびしい思いをしたときに、このみことばを思い出しました。
イエス様は、どれほどさびしい思いをされていることだろうかと思いました。

もとから世におられ、世を造った方なのに、世の人はそんなこととは知らず、イエス様を無視し、また軽蔑しています。
愛をもってすべてを捨てて来られたのに、拒絶されています。
どれだけさびしい、悲しいことなのだろうか、と想像します。

でもイエス様はそうして十字架の死を受け、復活をもって救いを成し遂げて下さったので、信じる私たちは罪を赦され、神の子どもとされ、永遠のいのちがあたえられる、そのすばらしい特権が与えられていることを、私は心からイエス様に感謝しています。そして、拒絶する人の中でも、イエス様を誇りとしていきたいと思いますし、いつもそうできるよう祈っていきたい思いです。

最近朝祈るときに、まず最初に反芻しているみことばです。


 
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神を敬ってしあわせ 〜伝道者の書から〜
旧約聖書の「伝道者の書」を読んでのAkiko的雑感。

この世の中の不条理、空しさ、混沌とした霊的な暗さをとつとつと伝道者が語っております…。
前向きに明るく生きようと考える人は、あまり深く考えすぎないようにしたりすることを、この書では淡々と書き連ねているという感じがします。ことごとくマイナスなさめた切り口からこの世の事象を見ております。確かにそれが真実でもあるわけです。でもやっぱり読んでいるとなんだか暗くなるような…。くもり

しかし!次のみことばを読んだとき、暗闇の中にポッとともったともしびのように、真っ暗な村に一軒だけあかりのともった家を見つけたときのように、あたたかい希望を感じました。

「罪人が、百度悪事を犯しても、長生きしている。
 しかし私は、神を恐れる者も、神を敬って、
 しあわせであることを知っている。
 悪者にはしあわせがない。」
伝道者の書8:12〜13


この世の中、正しく生きる者がつらい目に会うこともあるし、悪いことやゆがんだこともいっぱいある。でも、神を恐れて生きている者は、そんな世の中でも、神を敬って「しあわせ」だというのです。神と共に生きている者の、まわりの状況に関係ない、「真の心のしあわせ」を感じました。私も、私の家も、そのように生きていけますように。きゃvネコ

「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」
伝道者の書12:13
桜
| 聖書 | 19:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
苦しみの重さを思いはかる 〜ヨブ記〜
気がつけば1月も今日で終わり。1月に一つも書いていなかったので、何か書こうと思います!いつも色々書こうと思うことはあるのですが、ついつい慎重になってしまって、後回しにしてしまいます。今日は1月が終わってしまうという勢いを借りて、書きます!

そうですね、最近読んでいるヨブ記から教えられていることを書いておきます。

ヨブはとても正しい人なのですが、神様とサタンの天上のやり取りがあり、苦しみに会うことになります。財産は失われ、子どもを亡くし、ひどい皮膚病になり、奥さんからは「神をのろって死になさい」とまで言われる、ひどい苦しみです。

友達が見舞いにきます。しかし、最初はあわれんでいた友達も、ヨブがこんなひどい苦しみに会うのは、ヨブが悪いことをしたからだ、神のさばきだ、と一方的に決めつけて、ヨブを責め、訓戒し始めます。本当は違うのですが、天上のやりとりなど人間は知りませんから。「悪いことが起こるのは悪いことをしたからだ」という考えです。

「苦しみの中にある人に、推測で、その人が悪いからだと考えるのは危険だ」、ということを思いました。どんな事情があり、その人への神様のご計画が裏にあるのか、わたしたちはわからないからです。ヨブの友達の言っている言葉自体は、正しいことを言っているのです。しかし、事情がわかっていないので、見当はずれなのです。ヨブ自身にもどうしてそんな苦しみがやってくるのか、わからないのです。背後には因果応報ではない神様の意図があるのですが、今はそれが隠されているのです。見当はずれにヨブを責め立て、訓戒しようとする友達に向かって、「そんなことは私だって知っている。でも今の私には何の慰めにもならない。黙ってもらっているほうがましだ」ということをヨブは言っています。

私は、そこまであからさまなさばきはしないとしても、何か難しい状況になっている人を見て、「この人にも何か悪いところはあるんじゃないかな」などと推測してしまう心はなきにしもあらず、と思います。目に見える物事の背後にある神様の深い意図などは私にはわかっていないのですから、はやまった見方をしないように、気をつけないといけないと思わされました。

また、自分が安泰であるときに、そのようにさばきやすい、ということも教えられました。

「安らかだと思っている者は
 衰えている者をさげすみ、
 足のよろめく者を押し倒す。」
ヨブ12:5

ではどういう心でいたらいいのか、ということで教えられたのが、「その人の苦しみの重さを思いはかる」ということです。

「ああ、私の苦悶の重さが量られ、
 私の災害も共にはかりにかけられたら。
 それは、きっと海の砂よりも重かろう。」
 ヨブ6:1

自分自身に置き換えて考えてみると、苦しいさなかに、「あなたはこういうところがだめだ、こうしたほうがいい」とか言われたところで、何の励ましにもならないでしょう。黙って、苦しみの重さを思いはかってもらうことが、何よりの慰め、励ましであり、前進する力になるのではないでしょうか。

人の苦しみの重さを思いはかり、祈る者であれますように。失敗が多い者なので。

また、なぜ苦しめられるのかわからなくても神様に叫び続け、神様との交わり、話し合いを切望するヨブの祈りも教えられました。

まだ最後までいっていないのですが、とりあえず書いてみました。聖書はいつも読むたびに違うことが教えられ、奥が深いです雪
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心の空気清浄機
「あざける者は知恵を捜しても得られない。
 しかし悟りのある者はたやすく知恵を得る。」
 箴言14:6


青年クラスの日曜学校で箴言を学んでいます。あるときこのみことばから、

「心の中にあざける思いがあると、知恵が逃げていってしまうんだなあ」

と思いました。心の中からあざける思いをなくさないといけないなあ、あざける思いのない、きれいな澄んだ空気の心でいないといけないなあ、と思いました。

心の空気が悪いと、知恵が逃げていく。

おろかな私は神様の知恵がいつもほしいので、知恵が心に入ってきてくれるように、きれいな心にしておきたいです。
あざける思いのほかにも、人に対する恨みつらみ、不平不満、がっかりする心、なすべきことをしない億劫な心、前向きでない後ろ向きな心、人をさばく心、腹立たしい思い、思い通りにならないイライラ、疲れきった心、心配ごとや悩みに支配された心、そのほか数え上げればキリのない神様に喜ばれない思い…

そのような病的な思いがあると、心の空気がにごってきます。意識していると、心の空気がにごっていることに気がつきます。そういうときはなんだか姿勢も悪くなり、呼吸がちぢこまり、だいたい下を向いています。

そんなときは、「あ、心の空気清浄機しなきゃ!」と思って、深呼吸をして心の空気清浄機のスイッチを入れます。
新鮮な空気をにごった体内におもいっきり吸い込みスッキリします。

そして心の空気がにごっている原因は何だ?と神の前に考えます。
わかったら、「ああ神様これでしたね」と捨て去ります。
サッとすぐになくなってくれないものもありますが、そういうときも、「捨て去ることができますように」と願い、祈ります。神様はきっと助けて捨て去らせてくださいます。罪を捨て去ることは神様のみこころにかなうことですから。

「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」第1ヨハネ5:14

以上、最近私の中で流行っている心の空気清浄機についてお伝えしましたもみじもみじもみじ

このように罪を捨て去り、悔い改め、すがすがしく新しい歩みができるのは、私の受けるべき罪の罰を受けて十字架で死んで下さった救い主イエス・キリストのあがないにより、神の豊かなあわれみがあるからであり、そのことを覚えて感謝いたします。

「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」第1ヨハネ1:9
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日曜日 はえある主の日
ある日曜日の朝、私の心には不安がたちこめていました。
教会では様々な責任があり、プレッシャーがあり、恐れがあり、不安があり…
そんな中で、最近教えられたのは、
 
日曜日は「主の日」だ
ということを覚えることです。
 
天地を造られた偉大なる神様をたたえる。

十字架にかかってくださった救い主イエスキリストに、感謝する。

罪の赦しを、神との和解を、永遠のいのちを、天国の希望を感謝する。

思い切り賛美し、感謝し、ただ主を仰ぎ見、主を思う。

そのことに没頭する。そのための日。

そう思って、他のことはさておき、そのことに没頭すると、心に主にある喜びがパア〜とわいてきました。

 
「教会の日」というよりも、主の日。
まして「奉仕当番の日」ではない汗
「教会に行かなきゃいけない日」が来た…ではなく、
はえある主の日、この日ばかりは他のことを忘れて、天を見上げることに没頭し、思い切り主を賛美し、喜び楽しもう
主にある兄姉みんなで主を礼拝できるこの日を喜び楽しもう!
 
これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。
詩篇118:24

感謝しつつ、主の門に、
賛美しつつ、その大庭に、はいれ。
詩篇100:4

もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、
わたしの聖日に自分の好むことをせず、
安息日を「喜びの日」と呼び、
主の聖日を「はえある日」と呼び、
これを尊んで旅をせず、
自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、
そのとき、あなたは主をあなたの喜びとしよう。
イザヤ58:13
私は一つのことを主に願った。
私はそれを求めている。
私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。
主の麗しさを仰ぎ見、
その宮で、思いにふける、そのために。
詩篇27:4
 
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それはわざわいではない
 以前にエレミヤ書29:11から教えられたことを書きました。(2012年3月)

あれから、「どうして?」とわざわいのように思う出来事があるときに、いつもこのみことばを思い出します。

 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
エレミヤ29:11

以前の記事を見直してみると、思ったよりコムズカシく書いてありました…
今励まされているのは、「それはわざわいではない」というフレーズです。


思うようにならないできごとがあると、わざわいのように思い、のろわれたような気分で沈んでしまいます。

そんなときに、「それはわざわいではない」を思い出すと、暗闇の中に一筋の光が射すように、心がパッと明るく、軽くなります。どんな出来事の中でも神様は私と一緒に、希望に向かって働いて下さいます。

「それはわざわいではない」

神から人間に光を与える、力強いことばだなあと思います。


| 聖書 | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
8月教えられたみことば
 もし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現わされる。もし、あなたが神を離れるなら、神はあなたをとこしえまでも退けられる。 
第1歴代誌28:9

強く、雄々しく、事を成し遂げなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。神である主、私の神が、あなたとともにおられるのだからー。主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、主の宮の奉仕のすべての仕事を完成させて下さる。見なさい。神の宮のあらゆる奉仕のために祭司とレビ人の各組がいる。あらゆる奉仕のために知恵のある、進んで事に当たるすべての人が、どんな仕事にも、あなたとともにいる。  
28:20、21

この城は、人のためでなく、神である主のためだからである。 
29:1
アーメン。

人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。良いことを行なえば、奴隷であっても自由人であっても、それぞれの報いを主から受けることをあなたがたは知っています。
エペソ6:7、8
主からの報いを期待して、善意をもって仕えられますように。(特に家族にです…


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