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信じる=任せる
最近、みことばをただ単純に信じることが大事だなと思いました。
みことばを信じる、ということが、「信じ込もうと必死になる」になってしまっているときが結構あります。
ふと、これは信じていることになっていないなと思いました。
信じることは、必死になることじゃなくて、らくになることだよな〜と思うのです。(言い換えれば「平安」)
みことばをただ単純に信じる。みことばを「そうなんだ」とすんなり受け入れて、神様に任せて、それ以上心配したり不安になったり疑ったりしない、それが大事だなと思いました。

たとえば、「あすのための心配は無用です。」マタイ6:34

信じ込もうとがんばる場合→そうだ、心配はいらない、心配はいらない、と必死で自分に言い聞かせ、念じる。でもやっぱり不安。不安だけど信じ込もうとがんばって、自分の力でがんばって、疲れて、それでもなお不安は残っている。

単純に信じる場合→心配はいらないと神様がおっしゃっているんだから、そうなんだ。心配せんとこ。神様を信頼して、神様に任せよう、とお任せしてらくになる。

信じるというのは、自分の強い精神力、というよりも、神様のご性質に信頼して任せる、ということなのかなあと思いました。
神様のみことばを単純に信じて、任せて、らくになるような信仰を持っていきたいです。
 
| 日常 | 10:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
2015年の抱負 祈る
年末から、もっと何よりも主に頼って祈らなければ何も良いことができない、と教えられていました。

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。
…わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネ15:5


年が明けてから、モーセ(イスラエル)とアマレクの戦いから、とりなしの祈りの威力を教えられました。

モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。
出エジプト記17:11


実際に戦っているのはヨシュアをはじめとした戦士たちですが、結局のところはモーセの祈りの手に勝敗がかかっていたということです。

とりなしの祈りは本当に威力が大きいということを改めて教えられ感謝でした。いろいろなところで、色々な方々にある霊的な戦いに、祈って応援したいと思っています。

 
| 日常 | 08:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ドイツ旅行記 
最後に披露パーティと日曜礼拝のことを書こうと思いつつ、あれからはや4ヶ月経ってしまい、記憶が薄れつつあります…。


“簣パーティ

披露パーティは、結婚式会場の教会から徒歩数分のレストランで、兄の集っているハンブルク日本語教会と、つながりのあるハノーファーの集いのみなさん合同で、準備してくださったようでした。ミュージカルやピアノやバイオリン…と音楽でいっぱいの、どこかヨーロピアンな、おしゃれでフランクな会でした。女性が生き生きとパワフルだったのが印象的でした。

兄とお相手のMさんの生い立ちと思い出ムービーがありました。
兄がドイツに行ってから10何年か経つと思いますが、その間、教会の皆さんとの家庭的なあたたかい交わりがあって、皆さんに支えられてやってきたのだなあ、とよくわかりました。

そして、お相手のMさんのご家族、T家の出し物がありました。
T家は牧師家族で、Mさんを入れて5人兄弟の大家族です。昔から家族のお誕生日会や、最近では家族の結婚式でも、家族全員で出し物をするのが恒例だそうです。アナ雪の曲に合わせて家族全員で踊り、最後のフレーズ「すこ〜しもさむくないわ♪」のあとで「Hさんがあっためてくれるから、いいな!」というオチでした(笑)。
あとでご兄弟が、「今回は一番悩んだんですよ〜。場所はドイツだし、他の出し物がピアノとかヴァイオリンとかだし、こんなことやっていいのかなあって…」とおっしゃっていましたが、思い切った感じが圧巻でした主人は「すばらしい!」と思わずスタンディングオベーションしていました。うちの兄もこれからT家の出し物のメンバーにはいるのか〜と思うとなんだか笑えました。「最前線で使われますよ!」と先輩お婿さんがおっしゃっていました(笑)。本当に楽しいご家族でした。


◆.魯鵐屮襯日本語教会 日曜礼拝

ドイツの大きな教会の一室を借りて、行なわれていました。
導いておられるのはI先生という女性の宣教師の方で、奈良の教会から派遣されています。
子どもを入れて10何人かの集まりでしょうか。はじめに子どもコーナーがあり、子ども向けの賛美とお話をみんなでしたあと、子どもはナースリー部屋に移り、大人の礼拝が始まります。
 子どもの賛美でも大人のお話でも、一生懸命されている先生のお働きに励まされました。子どもから大人までみんな仲良しで恵まれました。先生も音楽を勉強されていたそうですが、ドイツでの働きの必要性を知って、献身されたのでしょうか。このようなお働きに感謝します。メッセージで印象に残っているのは、「人に与える」というのは「自分を犠牲にする」というよりも、「自分がイエス様にあって恵まれているように、人にも恵まれてほしい」ということではないか、ということです。(確かそんな内容だったと思います、ちょっと違っていたらスミマセン)。そうだなあ、ほんとだなあ〜と思いました。

**********************

さいごに

 このたび家族でドイツに行く恵みをいただき感謝します。
私は初海外でしたので、外に出てはじめてわかる日本の良さがあり、また日本に帰って来てほっとして、改めて日本は私のふるさとなのだなあと思いました。

 しかし信仰面では、ドイツ、あるいは欧米は、キリスト教が文化として広く深く根付いていて、クリスチャンとしては日本よりも自由な空気を吸える感じがあり、いいなあ〜と思わされました。
 日本ではクリスチャンはたいてい自分のいるところでは、学校でも職場でも近隣でも、クリスチャンは自分だけ、という人が多いでしょう。肩身の狭い思いをしたり、“みんな同じ”が好きで宗教アレルギー気味な日本人の中でひとりだけおかしな人に思われたり、間違ったことをしている人のような錯覚に陥ったり、恥ずかしいと思ったり、日本のクリスチャンは子どもの頃からつらい思いをしていると思います。(世界から見ると、何も宗教をしていない人のほうがおかしな人と思われるんですけどね…。)そしてその中でがんばって戦うことが面倒になって、戦うことをやめて世の中の流れに合わせていく人は多いと思います。
 
 でもたまにこのようなクリスチャンであることがおかしくない国(?)、クリスチャンであることが普通にメジャーな国に行くと、クリスチャンとしての自分のアイデンティティーが強くなり、誇れるものになるような気がしました。おかしくないんだ、これでいいんだ、と安心できるというのかな。(頭ではわかっていても、実感としてね)。たまに海外に行ってそういう経験をするのも大事かな、と思いました。
 
日本にいるときには教会に行ったことがなくても、欧米に留学しているときに教会に行くようになり、キリストを信じて帰ってくる人が多いように感じます。(でも日本に帰ってくると教会に続けていけないという話も聞きます…)日本ではキリストを信じることが難しい風土、空気感があることをものすごく感じます。いったい何なんでしょうかね…。日本のクリスチャンの皆さん、共にがんばろう!祝福あれ!

でも欧米ではまったく自由かというと、そうではないんだということも改めて思いました。ルターは当時のカトリック教会の中で、キリストを信じる信仰のみによって罪が赦され救われる、という聖書にもとづいた正しい福音を主張したためにカトリックを破門になり、生活の安定を奪われ、命をねらわれて逃げなければいけませんでした。クリスチャンが多い国であっても、やはりキリストに敵対する勢力というものは常に働いており、戦いはあるのだと思います。

世界のクリスチャンの皆さんにも祝福あれ!
Be strong in the Lord!









 
| 日常 | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ドイツ旅行記◆〃觝Ъ
今回は、旅のメインである結婚式の話を書きます。

★リハーサル〜教会の人々〜
 
結婚式会場は、ハンブルク日本語教会が以前使わせて頂いていたという教会です。ドイツ郊外の小さな教会、という感じです(日本だと大きいほうになると思いますが)。リハーサルや親族挨拶のため早めに着くと、教会の目の前にあるすてきなおうちからドイツ人のすてきなお嬢さんが鍵を開けに来てくれました。牧師先生ご家族かな?この方は日本語が話せました。日本に宣教師として滞在していたことがあった…だったかな?(うろ覚え…。)空き時間にigりんと庭でじゃんけんリレーみたいなことをして遊んでいましたが、庭には大きなリンゴの木が一本あり、小ぶりな青いリンゴがたわわに実っていました。そしてその木の下の砂場には、熟れて落っこちたりんごちゃんたちが、あちこちに転がっていました。

 親族挨拶をすませ(このご親族の皆様につきましては後ほど!)、リハーサル。私はピアノ奏楽です。でもこのドイツ日本語教会界の日本人クリスチャンの皆様は音楽専門の方が多いことをそれとなく知っていましたので、私でいいのかなと恐縮しつつ、まあ花婿の妹ということで勘弁してもらえるのかな、と開き直ることに。入退場はフルートの演奏で、私はその伴奏です。このフルートの方はやはり専門に学ばれている方で、というよりプロなのかな? ○○フィルハーモニーと共演されたことがあるとか。フルートの音色が会堂にすばらしく響いていました。
 
その後ハンブルク日本語教会の皆さんとハノーファーの集まりの皆さん合同の、歌の練習を始められまして、人数が10数名とこじんまりした人数なのですが、ビックリするくらいの声量と、ものっっっすごい美声でした!!!合唱コンクールを思い出しました(わたし中学時代合唱部だったもので)。教会を牧会されているI先生(奈良の教会から北ドイツ邦人伝道の宣教師として遣わされている、日本人女性です)も音楽を学ばれていたそうで、表情豊かに賛美しておられました。また有名な賛美歌手であられるK.A子さんも、メンバーの一人として普通に歌っておられました。やはりK.A子さん、高音で伸ばすところなどが圧倒的な歌唱力でいらっしゃいました。

★結婚式〜兄とMさん〜
 
兄とMさんが二人で前に並んでいる後ろ姿を見ながら、ここに至るまでの私の知っている兄の足跡を私なりに思い出していました。

 不器用ながら、一生懸命生きて来た兄(←勝手ながら私のイメージ)。
今、神様がすばらしいごほうびを兄にくださったんだなあ〜、と思い、感動しました。

 式の中で先生が語られたエピソードですが、お相手のMさんが、「Nさん(兄)は、本当に神様に愛されているんですね〜。」と何気なく言ったそのひとことで、兄はわかるようでわかっていなかった神様の愛が、スッと心に入ってきて、この人と一緒にいたら神様の愛がもっとよくわかるようになる、そういう存在だなあ、と思い、それが決め手になったということです。(合ってるかな?)それを聞いて、私も、神様が兄に必要な良い方を与えてくださったんだなあ〜、良かったなあ〜、と心から思いました。
 
 兄は私のイメージでは「のび太くん」みたいな人で(不器用だけど本当にいい人、っていう…kyu)、はじめてMさんにお会いしたときは、「しずかちゃん」みたいな人だなと思いました。美人で、上品で、賢くて、やさしい…なんでこんなにステキすぎる人が兄と!?という…。でもうまくいったらいいなあ〜と思っていましたが、このように無事結婚に至ることができ、本当によかったです。

 聞けば聞くほど、Mさんは兄の良いところを本当に好きでいてくれているみたいで、そういう人がいてよかったなあ〜と思いました。お料理がほんとうに上手だそうで(弟妹さんたちが言っておられました、ちなみにMさんは5人きょうだいの一番上です)、裁縫が趣味、だそうです。式でもらったプログラムカードのプロフィールに、「体も心も元気でいられるような美味しいごはんを毎日作りたいです」とありました。今どきこんなにすばらしい若い日本女性がいるのですね…き驚!今まで兄は異国のドイツの地で一人でがんばってきましたから、神様がすばらしい助け手を与えてくださったのだと思いました。これからのドイツ生活は、まちがいなくバラ色ですねばら

 私も初心に返って、夫にとって良い助け手になれるように、心を入れ替えないと、と思いました!結婚式って、参列するといつもそんな思いにさせられますが、今回はまた特に考えさせられました。アハハ!
 とにかく兄に、心からの「おめでとう」を言いたいと思います。
 

長くなったので今回はこれで終わります。次に「結婚披露パーティ〜教会の人々と、Mさんご家族〜」を書く予定です。ああでも気がつけば1ヶ月経ってしまいましたね。記憶が遠のきかけていますが…笑。
| 日常 | 11:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ドイツ旅行記
8月下旬に兄の結婚式でドイツに行かせていただきました。

人生も折り返し地点をすぎての(←平均寿命参考)初海外。ドイツに行くことはきっと最初で最後だと思うので、ドイツ旅行の色々を忘れないうちに書いておこうと思います。すでに忘れかけていますので…。

★ドイツは寒かった。
日本では30度越えが当たり前のこの季節。事前に調べて、ここ1週間は最高気温16度くらいという情報を得ていましたが、最高気温16度って、どんなかんじ!?と見当がつきませんでした。お花見のころくらいかなあ…とばくぜんと予測し、夏物プラス薄手の長袖のはおりものを用意していきました。ところが!ハンブルク空港から外に出たとたん…「サムッ!!!」これは秋から冬だよ!これはあかん、かぜひく〜!特に日が落ちてからがほんっとうに寒くて、薄手の長袖ではさむくてさむくて、ダウンジャケットを着ている人を見て、「いいなあ〜あったかそう!」と思いました。夏でこれでは、冬はどれだけ寒いのだろう、と思いました。

★自転車が多い
自転車が多かったです。歩道には必ず自転車専用レーンがあり、はじめよく知らないで歩いていると、「そこは自転車だよ!」というようなことをドイツ語で言われました。ちょうどその日曜日にハンブルクの街全体で自転車レースが行なわれていました。日本のマラソン大会みたいに、道路が自動車立ち入り禁止になって、自転車がビュンビュン走っていました。沿道には応援する人々の姿が。でもその影響で、私たちを迎えに来てくれた兄の車が大渋滞に巻き込まれて動けなくなり、私たちは電車で教会の方まで行きました。この辺では年に数回自転車レースがあるそうです。大変…。

★電車の改札がない
そうそうそれで思い出しましたが、電車に乗るとき、降りるとき、改札がありません。これには「エエ〜ッ!」とビックリしました。あれ、あれ、どこでチェックするのかな?と思いつつ乗っていたら、結局駅を出るまでノーチェック!改札ないんか〜い!話に聞くと、時々抜き打ちで私服を着た乗組員の方がチェックしにくるらしいです。そしてそのときもし無賃乗車だったりしたら、罰金が何千円か何万円だったか、とにかくものすごく罰金をとられるらしいです。

★有料トイレ、トイレの水の流し方の違い
話に聞いていましたが、外の公衆トイレは、たいてい有料でした。空港内やレストラン内は無料でした。1ユーロ(このとき140円くらい)か0,5ユーロでした。でも有料のところはさすがに有料だけあって、受付の方やお掃除をする方が必ず常駐されていました。だからキレイ。でも、こんなに寒い国なのに、日本みたいに電気の通ったあたたかい便座は一つも見かけませんでした。冬はツメタイだろうなあ、と余計な心配…。公衆トイレの数自体が少なく、利用の仕方もよくわからず、聞きたくても言葉がわからないし…と、トイレについてはほんとうに苦労しました!日本に帰って来て、トイレはたくさんあるし、便座はあたたかいし、わからなくても日本語で聞けるし、「日本に帰って来て良かった〜!」とホッとしました(笑)。流すレバーは日本のようなタイプではなくて、たいてい弁当箱くらいの大きなスイッチを、上に押すと流れる、下に押すと止まる、というものでした。自分で止めるタイミング決めちゃうのね!と驚きました。流れ終わったらすぐ止められるので節水のような気もしましたが、止め忘れて流しっぱなしになっているトイレも見かけました。あれは誰かが気づくまで流れっぱなしですから、大変ですね…。

★夜9時まで明るい
夜が明るいです。明るいから気分的には夕方なのに、時計を見るともう8時半だったり…。ハンブルクは建物がとても美しく、主人が夜景を写真に撮りたいというので暗くなるのを待っていると、暗くなったのは9時でした。(あ〜このとき本当に寒かった…泣。)でも本当に夜景がきれいで、川や湖に反射してまた一段と美しく、ayuちんは夏休みの思い出の作文に、このときの夜景について書いていました。

★店が8時に閉店する。そして日曜は開いていない。
お土産を買いたくて、結婚式の帰りに買い物をしようとショッピング街へ出かけたのですが、8時になると(ちなみにまだ外は明るい)、「出ろ!出ろ!」というようなことをドイツ語で言われ、何も買えないまま外に出ました。そしてどこの店も8時きっかりにパタパタと閉店してしまいました。うわ〜日本と違うんだなあ〜と思った瞬間でした。また、日曜日はどの店も閉まっていて、街全体が静かでした…が、例の自転車レースがあったため自転車だらけではありました。駅構内だけは店が開いていて、そこでおみやげなどをかいました。でもいいですね。客としては不便ですが、働く皆さんにはゆとりがあるのではないでしょうか。日本は夜遅くまでの営業、24時間営業、年中無休、そのため夜遅くまで残業、休日返上…という感じがあたりまえですから、客としては便利ですが、働く皆さんは本当に身も心も疲れてしまうのではないかと思います。ちなみにドイツにはコンビニもないと聞きました。なんだか今の日本は便利ですが、どうなのかなあ〜、ドイツのこのペースは人間らしく生きれていいのかもしれないなあ〜、などと考えてしまいました。

★日曜の朝に教会の鐘が鳴り響く。教会が多い。
日曜の朝、10時でしたか、教会の鐘が「ゴロンガラン〜ゴロンガラン〜♪」と長い間(私の感覚では5分間くらい!?)、ハンブルクの街全体に鳴り響いていました。母によると、「日曜日ですよ、教会に行きましょう〜!」という合図の鐘だそうです。うわ〜なんてすてきなのかしら〜!!日本のクリスチャンからすると、本当に「いいなあ〜〜〜〜!」とあこがれます。日本で鳴り響くのは仏教のお寺の鐘ですから…。でも聞いた話によると、最近の若い人は教会離れしているそうです。なんでも教会に行っている人は、教会税があるとか。クリスチャンが減り、仏教やイスラム教は増えているそうです。…残念。それから、古〜〜↗︎くて、大き〜〜↗︎い、レンガでできた歴史的建造物のような教会が、びっくりするくらいあちこち近所にありました。それだけ必要があったのかなあ。今でも日曜日にはその教会に何百人も集まっておられるようです。主人とigりんは、その一つの聖ペトリ教会の上の展望台まで、ひたすら階段をのぼって、汗をぼとぼと流しながら上まで行ったそうです。ちなみにハンブルクの日本語教会のために部屋を借りているのはFreie Evangelische Gemeinde Holstenwall教会というところで、この建物は近代建築ですが、市民会館みたいなリッパな建物でした。外壁はやはりレンガでした。とにかく、ドイツという国におけるキリスト教の歴史の長さ、そして文化として深く根付いていることを感じました。

★ルターの街に行きました。
ドイツ、キリスト教、といえば宗教改革者「ルター」ですが、ルターの街と言われるヴィッテンベルクに行きました。免罪符(調べてみると、今は贖宥状というらしい。私は歴史の授業で免罪符と習いましたが)の販売などに代表される当時のカトリックの腐敗に対し、聖書にもとづいて、「キリストを信じる信仰のみによって救われる」という正しい福音、いわゆる「信仰義認」を訴え、迫害の中でも正しい信仰を貫き、プロテスタント("抗議者”の意味)の始まりとなった方です。その当時一般市民は読めなかったラテン語の聖書を、みんなが読めるようにドイツ語に訳したそうです。宗教改革の発端となった「95か条の論題」を貼り付けた聖堂や、ルターが説教した教会、ルターの家、ルターの直筆の楽譜(御神は城なり)…などがありました。私は「へえ〜」という感じでしたが、主人的にはプロテスタントの源流がここにあるということに思いを馳せると、ものすごく感動したらしく、また行きたい!!と言っています。いずれにしても、正しいキリスト信仰に堅く立つことには迫害が伴い(カトリック教会を破門にされ、命もねらわれたらしい)、それでも信仰を貫き通したルターさんの信仰に思いを馳せ、尊敬の念を新たにしました。

★建物が美しい
私は、結婚式関係を別としまして、ドイツで何が一番良かったかというと、街並の美しさでした。レンガや石でできた古く重厚な建物が並び、新しい建物もそれに溶け込んでいました。レンガ作りの古い教会の高い塔があちらこちらに見えています。足元は石畳です。街全体に落ち着いた空気がただよっていました。

以上、日本と違って印象的だったことを書いてみました。
あとは、ドイツの人々とのふれあいや、結婚式関係の話を書きたいと思っています。




 
| 日常 | 11:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
パセリと青しそ*今月の小ネタシリーズ
私は園芸があまり得意ではなく、家にある生きた植物は、約4年前の引っ越しのとき、お世話になった不動産屋さんからお祝いに頂いた「ユッカ」という観葉植物のみです。このユッカちゃんは、今まで色々な植物を枯らせてきた私の手にかかっても、いまだに元気でいてくれている、親孝行な(!?)丈夫者です。一度、ひとまわり大きな鉢に植え替えもしました!←プチ自慢

時々思い立って植物を置いたりするのですが、今回は、家庭菜園にチャレンジしてみよう!とコーナンへ行き、色々迷った末に、パセリとしその種を購入しました。

なぜパセリとしそかというと…料理の添え物やちょっとした薬味に、ちょっとあればいいなあ〜と思うけど、100円とか払って買うほどでもない。だから買わない。でも家にワサワサと茂っていれば、ちょこちょこ採って、緑がないお皿にパセリを添えたり、私の和風ハンバーグにしそをのせたり(子どもはしそを食べない)、スープにパセリを刻んで浮かべたり、想像しただけでもなんだかすてきだわ〜食卓が豊かになるわ〜🌹!と思ったからです。

種からなので、芽が出てくるまでヤキモキしましたが、1ヶ月ほど経って、今は双葉の次に本葉が出て、またその次の本葉がちょこっと出てきたところです。途中、「なかなか進まへんなあ〜やっぱり苗を買えばよかったわ〜💧」という思いもよぎりました。でも、種からだからこその愛着がありますね。毎朝パセリちゃんとしそちゃんの前に座り込んで、水をあげて、「わ〜昨日より大きくなってるな〜♥️」と、成長ぶりをじ〜〜〜〜〜っと見入るのが、今の私の一番の楽しみです(笑)。植物って、すなおに応えてくれますよね〜(泣)!←なんで泣!?

だからみんな園芸が好きなのかなあ。植物の素直さに、心が洗われます。人間は罪人だから、まっすぐに素直に成長するというのは、そうありたいけどなかなかどうして、そう簡単ではないと思います。

神様の恵みを身に受けて、神様の方を向いて、神様の望まれるように、まっすぐに素直に成長できますように〜!

神は仰せられた。「地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類にしたがって、地の上に芽生えさせよ。」そのようになった。

地は植物、すなわち種を生じる草を、種類に従って、またその中に種がある実を結ぶ木を、種類にしたがって生じさせた。神はそれを見て良しとされた。

創世記1:11〜12


あと、ミントもやりたいんですよね〜。手作りデザートにちょっとのせたりね。

ミントは苗にしようかな。あはは😝。


 
| 日常 | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
集中!
 他の人に対する批判や不満などを心に持っていると、自分自身のなすべきことに対する判断力に欠け、結局自分が失敗するなあと、最近教えられています。

人のことをああだこうだと思っている
注意散漫
自分が失敗するはめになる


ああ人のことをとやかく言っている場合じゃなかった、ちゃんと自分のことに集中するべきだった〜…反省。となります。

「まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。」マタイ7:5

物事を正しく判断したり、なすべきことをする力が10与えられているとします。

人のことをああだこうだと思っていると、その分だけ余分な力を使ってしまい、6くらいになるような気がします。

余計なことを考えないで、なすべきことに集中する。それが最近の私のテーマです!

あと最近その他に、過去のことをいつまでもくよくよ考えたりすることもそうだなと思いました。今日を生きる力が10与えられているのに、くよくよするとやっぱり6だか5だかくらいになってしまうと思いました。過去のことは過去にスパッと置いて、与えられている今日を生きる力をフル活用できるようにしたいです。
| 日常 | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
サムソンのように、いのちを使う
そしてサムソンは、「ペリシテ人といっしょに死のう。」と言って、力をこめて、それを引いた。すると、宮は、その中にいた領主たちと民全体との上に落ちた。こうしてサムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった。
士師記16:30

サムソンは、決して模範的な人とは言えず、面白い話ではあるけれど、なんでこんなに聖書にページがさかれているのかなあと不思議に思う人です。でも最近、その最期から教えられています。

神から力が与えられていたサムソンは、自分の愚かさから出たことで、神の力が去り、敵に捕らえられ、両目がえぐりとられ、最期のときは偶像の宮で何千人の敵の前で笑い者になっていました。

でも最期に、「力を与えてください」と祈り、その宮をささえている柱を引いて宮を壊し、それまで生きてきた中で倒したすべての敵の数よりもたくさんの敵を、一度に倒して自分も死んだ、という話です。 

死ぬにあたって、せめて自分にできる限りのことをして死ぬ。ただでは死なないぞ。そんな意気込みを感じます。

その「死に方」、言い換えれば「与えられているいのちの使い方」、結局のところ「生き方」、になるでしょうか。そんなことを考えさせられました。

私はつらくなると、「ああ早く天国に行きたいなあ。」などと安易に逃避してしまいますが、そんなときにこのことを思い出すと、いやいや、ただで死んだらあかん!と思わされます。

同じ死ぬいのちなら、楽に何もしないでただ死んでしまうより、つらくても自分にできる限りのことをしっかりやって、与えられたいのちを意味あることに使って死にたいと思います。(「死にたい」というと消極的な響きがしますが、結局のところ、そのように「生きたい」ということですね。)

今でもよく、つらさから逃避してラク〜に生きたくなるときに、このことを思い出します。
| 日常 | 22:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
キリストの苦しみを数えよう
自分の罪を数えるかわりに
キリストの苦しみを数えよう

自分の罪を数えては
心が苦しくなる時に

思い出そう

私が苦しまないように
私の代わりにキリストが
もう苦しんでくださったことを

その身代わりの苦しみを
ひとつひとつ数えよう

そしてキリストに感謝して
苦しむことはもうやめよう


*****

またまた詩です。
特に凝っているわけではないのですが、思ったことがなんとなく詩みたいだったので(前も同じこと言ってたな)、詩にしてみました〜

私はどちらかというと内省的なので、つい自分の内面をみて暗〜くなりやすいのですが、キリストがすでに苦しみを受けてくださっているのですから、そのうえにまだ苦しむということはせっかくキリストが犠牲を払って与えてくださった恵みを無駄にすることですよね。

十字架にかかって死なれたキリストの上にすべての罰が下されたことを覚えて、またそのほかにもキリストが地上で人として歩まれたがゆえに受けた数々の苦しみを覚え、かみしめて、キリストに感謝し、自分を苦しめることはやめにしたいです。

自分を見るよりもキリストを見上げ、罪の苦しみから解放されていることをしっかり確認して、平安と喜びを抱いて歩んで行きたいです。


それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。
コロサイ2:13〜14


神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
第2コリント5:21






| 日常 | 17:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
クリスマス顛末記
今年のクリスマスに、マンションの子どものお友達とママさんが集まるクリスマス会で、イエスさまお誕生の紙芝居をすることができました。

私はどちらかというと内気ですし、そんな大それたことはとてもできないと思っていましたが、今回なぜかできることになってしまいました。今ふりかえっても、よくやったなあ〜とこわくさえ感じますが、できて本当によかったです。させてくださった方々にも感謝します。そこに至るまでの神様からの多くの励ましと導きを残しておきたく、書くことにしました。

私たちはこのマンションに2010年4月に引っ越して来ました。今5年生と3年生の子どもには、同学年のお友達がたくさんいます。このクリスマス会には2010年、2011年といつも声をかけてくださり、参加させていただいていて感謝でした。仲良しのお友達が勢揃いして、楽しいゲームとたくさんの景品、食べきれないほどのお菓子で、みんな楽しみにしています。

私は感謝しつつも、「クリスマス会」と名前がつくと、どうしてもイエス様が全く出てこないことにどこか「う〜〜〜〜ん」と空虚感と無力感を毎回感じてしまうのでした。クリスマス会という名前のお楽しみ会だ、と割り切ればいいんでしょうけどね。その時期はいつも教会ではクリスマスに向けてイエスさまを伝えるために激務をこなしている時期なだけに、余計に感じてしまうんでしょうかね…。毎年、「ああ、ここでイエスさまの紙芝居なんてできたらいいんだけどなあ。」と夢のように思っていました。
クリスマス前に、ある教会の婦人がこう言っておられました。
「色んなクリスマス会によばれてあっちこっち行くんだけど、な〜んか疲れるんですよね…。どうしたらいいんですかね。」その方は幼稚園のお子さんをお持ちで、お子さんはものすごくまっすぐにイエスさまのことを友達に話すのだそうで、子どもってまっすぐですよねえ、という話もしていました。
私はその問いに対し、「ああ、わかります、わかります!」と共感はしたものの、そして、「イエスさまの紙芝居でもできたらいいですよね」…と言いたかったものの、自分はそう思いながらもやっているわけではなかったので、言えませんでした。
17日(月)に、教会のI姉の働く施設で、I姉プロデュースでクリスマス賛美コンサートをしました。私はピアノ伴奏などでのお手伝いです。I姉はまったくのノンクリスチャンの人々の前で、明るく堂々と、証しされていました。あるメンバーが、「あまりやりすぎると、やめさせられるよ。」と冗談まじりに言いました。I姉は、「いいのよ、やめさせられても。そしたらまた次にどっか行って、同じようにやるから!」と言いました。パウロみたいですねえ。でも「迫害がないように祈ってください」と言われていました。まったく恐れがないわけではないんですよね。祈りながら、力を頂いて、明るく大胆にされているんですね。とても励まされました。
18日(火)は、婦人集会の年齢別学び会というのがありました。このときもクリスマス前だからか証しの話で盛り上がって、特にある姉の小学校低学年のお子さんの伝道者っぷりに皆感嘆し、「Kちゃんは師匠やな!」と話しました。Kちゃんは、ふだんからよくお友達に福音を語り、何人も救いに導いているそうです。迫害もものともせず、親の心配もよそに、語り続けるのだそうです。学校のお楽しみ会では、他のグループはダンスなどをする中、Kちゃんのグループは、Kちゃんの企画で、イエス様の降誕劇をすることになったそうです。ほんとうにすごいなあと、励まされていました。
婦人集会の後に、恒例の、教会のおとなりの病院でのキャロリングがありました。最近は紙芝居を賛美のあいまにさせて頂いていて、今年は私が担当する番でした。私はあまり上手ではありませんが、私なりに紙芝居を読み込んで、練習し、紙芝居だけだと降誕だけになるので、最後に1枚だけ十字架の絵を出して、福音もつけ加えました。集まった患者さんたちが皆さんよく聞いてくださり感謝でした。
わたしはここまでこのように様々なことで励まされ、こんなにみんながんばっているのに、私が何もしないのではいけないじゃないか、と良い意味で迫られるものがありました。
子どものクリスマス会は21日(金)でした。そうだ、この前病院でした紙芝居はまずまずの評判だったし、練習もできているし、一度話を持ちかけてみようかな。メールするだけしてみよう。後はその返事次第で、どちらになってもかまわないから、みこころがなりますように、とゆだねてメールしてみました。19日(水)でした。断りにくいだろうからと思って、断りやすい文章を考え、遠慮気味に書いて送りました。S学会の方もおられますし。
…すると、次の日に、「ぜひお願いします」というメールが返ってきました。正直なところ、「わ、することになっちゃった。どうしよう。」と思いました。すぐに紙芝居を教会に取りに行って、再度練習をし始めました。子どもに言うと、子どもが不安がるかもしれないと思ってナイショにしておきました。だいたい私自身が不安でしたから。ちなみにその日の夜は、教会恒例の千里中央バスターミナルでのキャロリング、チラシ配布でした。これもまた教会の部会を超えた皆さんがひとつになってキリストを伝える、すばらしいひとときでした。
そしてクリスマス会です。楽しいゲーム、お菓子タイムの後、おもむろに司会のママさんが、「今日は、ayuちんとiguりんのお母さんが、紙芝居をしてくれますよ〜!」と言って、それは始まりました。iguりんはあまり反応が表に出ない子なので分かりませんが、ayuちんは明らかにびっくりして動揺していました。ちょっとかわいそうだったかな…。お菓子タイムのお片づけの時間だったので、ママさんたちは私の背後でお片づけをしていました。子どもたちが20人くらいかなあ、1年生から5年生まで、私の前に座って、話を聞いてくれました。
今までゲームとお菓子しかなかったクリスマス会で、いきなりよく知らないおばちゃんがイエスさまが〜とか話しだして、いったいなんなんだこれは?!というアウェイな空気をビシビシ感じました。サッカー日本代表が北朝鮮で試合した時の気持ちってこんなんかなあなんて思いました。でもこのマンションの子どもたちは本当にいい子たちで、最後まで、さっきまでの騒ぎは何だったのかというくらいに、本当にシ〜〜〜ンとしていました。シ〜ンというのは二つ考えられますよね。 ―乎罎靴討い襦´▲轡蕕韻討い襦,気△匹辰舛任靴腓Αそれは私にもいまだに分かりません。多分どちらもいたかな、と思います。
終わると、子どもたちはさっそく次のゲームです。またもとの大騒ぎ。ママさんたちは、「すご〜い」「勉強になったわ〜」などと言ってくれました。優しい皆様、ありがとうございます…。
良かったのかなあ、どうだったのかなあ、と自分でも評価が定まらないまま、次の日の土曜日には早天祈祷会に行きました。みことばと祈りの時を持つ中で、伝道者の書のみことばが私の励ましとなりました。
「あなたのパンを水の上に投げよ。
 ずっと後の日になって、
 あなたはそれを見いだそう。」
今の時点でどうだったのかはわからない。水の上に投げたパンのように消えてなくなったように見える。でもこのみことばの通りになり、ずっと後の日になるだろうけど、きっと実がなる。そう信じました。このみことばに信頼していこう。そう落ち着きました。
その日の昼にまたクリスマスの最後の練習のために教会に行く時に、クリスマス会でひとりだけ私の正面から紙芝居を見て下さっていたママさんとエレベーターでバッタリ会いました。私はいそいでいたこともあって「こんにちは〜昨日はお疲れ様でした〜!」みたいな月並みなあいさつをしたのですが、そのママさんが、「昨日は本当に、ありがとうございました!」とお礼を言ってくださいました。ふだんあまりことば数の多くない方なので、その方がわざわざそのようにお礼を丁寧に言ってくださったことが意外で、私には感謝な励ましとなりました。
その時にいたお友達の中には、教会に来てくれたことのあるお友達も何人かいます。でも今は来ていません。そういうお友達に、イエス様を思い出してほしかった。
S学会のお友達は、教会に来ることはないでしょうから、福音を聞くことがありません。こんなに近くにいて毎日のように接していながら、福音を伝えることができないまますぎてしまうことに、このままでは…と責任を感じていました。一度でいいから伝える機会がほしいと思っていました。
そのほか教会に来たことのないお友達みんなに、聞いてほしかった。
内容としては本当に簡単な福音メッセージなので、福音を知るという点でどこまでお役に立てているか分からないのですが、そのように今まで夢のように思い、願っていたことがこのような形で実現し、主に感謝します。
次はどうなるのかは分かりませんが、それはそれでまたそのときの導きにゆだねます。
そして、今回のことは、
「ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう」
このみことばに信頼していこうと思います。
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