神への礼拝とは *出エジプト記26〜30章を読んで
祭壇の上にささげるべき物は次のとおりである。毎日絶やすことなく一歳の若い雄羊二頭。一頭の若い雄羊は朝ささげ、他の一頭の若い雄羊は夕暮れにささげなければならない。

…これは、主の前、会見の天幕の入口で、あなたがたが代々にわたって、絶やすことのない全焼のいけにえである。その所でわたしはあなたがたに会い、その所であなたと語る。その所でわたしはイスラエル人に会う。そこはわたしの栄光によって聖とされる。…

…アロンは年に一度、贖罪のための、罪のためのいけにえの血によって、その角の上で贖いをする。すなわち、あなたがたは代々、年に一度このために、贖いをしなければならない。これは、主に対して最も聖なるものである。
出エジプト記29:38〜43、30:10


 このあたりは、「幕の長さが何キュビト」とか祭司の服の作り方とか、しっかり研究すると意味深いと思いますが、サッと通読していくにはツライところです…

でも今日読んでいて思ったのは、人が神様を礼拝し、神様と交わるためには、罪のあがないの作業を大変な時間と犠牲をかけてなされなければならないということです。

私たちは、昔のように罪のあがないのために何度も動物をささげる必要はなく、完全な一度きりのイエス・キリストの犠牲によって、キリストを信じるだけで罪の赦しが永遠に与えられます。だからでしょうか、つい気軽に、習慣的に、礼拝や祈りをしてしまいます。でもこのような箇所を読むと、礼拝とは、聖なる神の前に罪の清算をしっかりすることだ、と気を引き締められる思いになりました
| 出エジプト記 | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
父母をのろう者は…!* 出エジプト21章
 自分の父または母を打つ者は、必ず殺されなければならない。

自分の父または母をのろう者は、必ず殺されなければならない。

出エジプト記21:15、17

こわい…

これは出エジプトをしたイスラエル人に与えられた戒めで、今も殺されるということは実際はないと思いますが、でもそれだけ神様から見て、父母を敬うことは本当に本当にしっかり守られるべきおきてなのだ、という神様の思いの強さを教えられます。

子どもにも、このみことばを教えて、「実際にあなたは殺されないけど、父母をのろう心、ばかにして打つような心を殺さなければならないんだ!」と話しました。子どもに要求するだけでなく、私たちの側も、尊敬できる親になれるよう、努力をしていかないと、と思います…
| 出エジプト記 | 22:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
出エジプト記14〜17章あたり*人はすぐにつぶやく
 民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか。」と言った。モーセは主に叫んだ。15:24

イスラエル人の全会衆は、この荒野でモーセとアロンにつぶやいた。イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていた時に、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。」16:2〜

民はモーセと争い、「私たちに飲む水を下さい。」と言った。…略…
「いったい、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのですか。私や、子どもたちや、家畜を、渇きで死なせるためですか。」そこでモーセは主に叫んで言った。17:2〜

エジプトを出る時、イスラエルのために主が戦われ、海が分かれて道ができるというものすごく劇的な奇蹟があり、勝利の歌を喜んで歌ったその数日後、早くもつぶやきは始まりました。不足があるたびに民はモーセにつぶやき、腹を立てて、モーセと争いました。その度にモーセは、主に叫びました。輝かしい奇蹟の直後の数章で、つぶやきが何度も何度も矢継ぎ早にでてくることに「つぶやき早っ!なんで〜?」と思いつつも、自分を含め、人ってそういうものだな、と考えさせられます。(確かに飲む水や食べる物がなければキツいです…。)すばらしい恵みはすぐに忘れて、つぶやきはいくらでも湧き出てくる。肝に銘じて、つぶやくより恵みを覚えるようにしたいです。それと、つぶやくよりモーセのように主に叫び求めるようにしたいです



| 出エジプト記 | 21:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
出エジプト記13章*ヨセフの遺骸
 モーセはヨセフの遺骸を携えて来た。それはヨセフが、「神は必ずあなたがたを顧みてくださる。そのとき、あなたがたは私の遺骸をここから携え上らなければならない。」と言って、イスラエルの子らに堅く誓わせたからである。
出エジプト記13:19

ヨセフの信仰にいつも励まされます。ヨセフはヤコブ(イスラエル)の子で、兄たちにエジプトに売り飛ばされ奴隷となり、また牢獄にも入りましたが、いつも主に忠実に歩んだ結果、エジプトの宰相になりました。そして飢饉の時にイスラエル一族が神様の導きでエジプトに来ました。神様が先祖アブラハムに約束して与えられたカナンの地を離れることはイスラエル一族にとって不安なことでしたが、必ずまたカナンの地に戻る時が来る、と神が約束されました。ヨセフはその日が来ることを信仰によって待ち望みつつ、天に召されました。必ずその時が来るからその時は私の遺骸を携え上ってください、と確信を持って頼んだわけです。そしてその遺骸が今まさにモーセの手によって携えられ、神の約束が成就するときが来たのです。感動です

神様の約束をまだいつのことだか目に見えなくてもしっかりと信じる、そのすばらしさを教えられます。そして、神様は真実だ、と教えられます
| 出エジプト記 | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
出エジプト記10章*子に語り聞かせよ
 「わたしがエジプトに対して力を働かせたあのことを、また、わたしが彼らの中で行なったしるしを、あなたが息子や孫に語って聞かせるためであり、わたしが主であることを、あなたがたが知るためである。」出エジプト記10:2

有名なモーセの出エジプトの記事です。強情なエジプト王パロに対して数々の神の奇蹟がなされる際に神がモーセに言ったことば。私は「あなたが息子や孫に語って聞かせるため」が心に残りました。子どもに、孫に…と信仰を継承していくように。親や祖父母が、自分の子どもや孫に自分の知っている主を、また主のしてくださったことを、よく語って聞かせるように主は期待しておられる、と教えられました
| 出エジプト記 | 12:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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