死に至るまであざけられ続けたキリスト*マルコ15章

 そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。

そばに立っていた幾人かが、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる。」と言った。すると、ひとりが走って行って、海綿に酸いぶどう酒を含ませ、それを葦の棒につけて、イエスに飲ませようとしながら言った。「エリヤがやって来て,彼を降ろすかどうか,私たちは見ることにしよう。」それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。
マルコ15:34〜37


このあと16章で預言通り三日後に復活し、神としての栄光を現されるのですが,今日はこの箇所から教えられました。

人から悪意を向けられることは辛いことですし,継続的にずーっとそうであるのは大変辛いことだと思います。疲れ続けて,気力を失っていくと思います。

キリストがこの世で歩まれた当時,キリストを神の子であり救い主であることを信じ、弟子となり従う人々もいましたが,常にどこへ行っても反対勢力があり、攻撃され,いのちを狙われ,「あれ見よ、大酒飲みの食いしんぼう」などと、ありもしないことでさげすまれたりしていました。

そしてここでは、十字架上で息を引き取る直前,そばに立っていた幾人かが、人をこばかにしたような態度でキリストをあざ笑っています。(キリストは神ですから,自分で降りようと思えば降りられます。でも人類の罪の贖いを成し遂げるために自分の意志で死なれたました。)あざけられ続けた公生涯であったと思います。

でもキリストは,ただ父なる神のみこころを行うことに集中していました。自分のなすべきことをする、そのことだけにまっすぐに集中して,成し遂げられました。まわりは最後までキリストをあざ笑い続け、悪意を向け続け,ついに死に至らしめました。でもキリストは,そんな中でもまったく揺るぐことなく,その生涯をもって,私たちのために救いを完成させてくださいました。その後復活して,天に帰っていかれました。

私も,自分のなすべきことに集中していけるように、と願います




| マルコの福音書 | 15:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
その日が冬にならないように… *マルコ13章
 …その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。
ただ、このことが冬に起こらないように祈りなさい。その日は、神が天と地を創造された初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような苦難の日だからです。そして、もし主がその日数を少なくしてくださらないなら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、主は、ご自分で選んだ選びの民のために、その日数を少なくしてくださったのです。

…その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。そのとき、人々は、人の子(キリスト)が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。

…この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。

…わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。
マルコ13:14〜37


東北大震災からちょうど今日で一ヶ月です。誰もが考えたこともなかったような大変な震災でした。今も苦難の中にある方々のことを覚え、続けてお祈りします。

ちょうど今日読んだ箇所の、上に書いた最初の二行は、今回の大震災で心におのずと浮かんできたみことばでした。こういうときに妊娠されている方、小さなお子さんをお持ちのお母さんは本当に大変です。医療体制が整っていない中での出産、おむつやミルクが足りない、避難所で子どもが夜泣きをするたびに外に出て、寒い夜空の下で子どもをあやす…。また、何十時間もたってから救助された方のニュースなどを聞くと、3月の東北はまだまだ寒いものの、真冬の一番寒さの厳しい時でなくて、まだよかった、と思い、ハタとこのみことばを思い出しました。今まで、なんでこんなことが書いてあるのかな、という感じでしたが、少し実感がわきました。

このみことばは、この世の最後の日、いまだかつてなかったような大きな苦難とキリストの再臨があることを、キリストご自身が語られた所です。もっと恐ろしい最後の日が来ること、その日がいつかは私たちにはわからないことを覚えて、目をさまして、神の御心のうちを歩み、人々にキリストを信じれば救われることを伝える者でありたいです。

また、まだ信じておられない方は、いつかもっと恐ろしい、いつ来るかわからない最後の日が来ることを知り、私たちの身代わりに死んでくださったキリストを救い主と信じ、罪の赦しを得、永遠のいのちを得て頂きたいと思います

神は、実に、そのひとり子(キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネ3:16
| マルコの福音書 | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
忙しく働いたあとに…*マルコ6章
 最近パソコンがなかったので久々です。

さて、使徒たちは、イエスのもとに集まって来て、自分たちのしたこと、教えたことを残らずイエスに報告した。そこでイエスは彼らに、「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい。」と言われた。人々の出入りが多くて、ゆっくり食事する時間さえなかったからである。そこで彼らは、舟に乗って、自分たちだけで寂しい所へ行った。
マルコ6:30〜

日曜日は教会で色々な方と、お話をしたり、祈ったりします。賛美関係や事務関係のなすべきことも色々あります。家に帰ると、今日一日の出来事で頭がいっぱい、頭も心もフル回転して止まらなくなってしまったモーターみたいな状態になっています。

このみことばを思い出して開いて読みました。十二弟子がイエス様から遣わされて、多くの人をいやしたり奇蹟を行なって、帰って来た場面です。実はこの後、人々が歩いて先回りしてしまって、弟子たちは結局ゆっくりできず、そこで5000人の給食の奇蹟があり、その後イエス様から強いて舟に乗り込ませられ、真夜中に湖の上を歩くイエス様と出会う奇蹟があるのですが。

神様から力を頂いて、神様のための働きをしたら、その後は、人からしばし離れて神様のもとに行き、そのことを報告すること。したことすべてをお話しして、気になることを祈り、今後の導きを祈り、あとは神様に全部ゆだねて、安心して心を静かに休ませること。

神であるイエス様でさえ、いつもそうして父なる神様に祈ったんです。私もエンジン切れにならないように、神様とよくつながっていけるように、と思います


| マルコの福音書 | 16:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
塩けを保ち和合する*マルコ9章
 塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。
マルコ9:50

塩とは、料理には欠かせない味付けであり、昔であれば特に腐敗を防ぐために塩漬けにするなどして用いました。そのようなことから、キリストを信じる者らしさ(この世に妥協しないきよさ、この世にはないキリストの愛を現すことなど)をしっかり保つことと解釈できます。

塩けを保ちつつ、和合して暮らす…ってそれが必要なのはよくわかりますが、簡単ではないと思います。塩けを保ちたいあまりに和合することがおろそかになるか、和合するうちに塩けがうすれるか、どちらかになりがちだと思います。和合しつつも塩けをしっかり保っていくには、神様の力が必要だと思います。そんなの難しいよなあ〜とこのみことばをサラッと流してしまわず、神様の助けによってこのみことばのように生活できるように、祈ります(←食卓塩)。
| マルコの福音書 | 19:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
マルコ5章*ヤイロの娘のいやし
会堂管理者のひとりでヤイロという者が来て、イエスを見て、その足もとにひれ伏し、いっしょうけんめい願ってこう言った。「私の小さい娘が死にかけています。どうか、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。… 略

「なぜ取り乱して、泣くのですか。子どもは死んだのではない。眠っているのです。」
人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスはみんなを外に出し、ただその子どもの父と母、それにご自分の供の者たちだけを伴って、子どものいる所へはいって行かれた。

マルコ5:22〜

ヤイロの娘が生き返った奇蹟の場面です。イエス様は、信仰を持って必死で願う父母とご自分の弟子だけを残して、そこで奇蹟をされました。あざ笑う人は外に出されました。神が奇蹟的な御わざをなされるのは、必死で本気で信じて願う人の前である。あざ笑ったり中途半端な人の前では、あまり神様のみわざはなされない…と教えられました。自分の信仰や祈りはどうかな、と思います
| マルコの福音書 | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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