火を消してはならない祭司 * レビ記6章
 アロンとその子らに命じて言え。
全焼のいけにえのおしえは次のとおりである。全焼のいけにえそのものは、一晩中朝まで,祭壇の上の炉床にあるようにし、祭壇の火はそこで燃え続けさせなければならない。
…略

祭壇の火はそのまま燃え続けさせ,それを消してはならない。かえって、祭司は朝ごとに、その上にたきぎをくべ,その上に全焼のいけにえを整え,和解のいけにえの脂肪をその上で焼いて煙にしなさい。

火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。消してはならない。
レビ記6:9〜

このあたりは,出エジプトしたイスラエルの民のための,罪のためのいけにえ等のささげ方や、ささげる祭司のあり方などが書かれています。今はただ一度きりの完全ないけにえであるイエス・キリストによって、一度信じるだけで信仰により恵みによって永遠に罪が赦されるのですが、本来は罪の贖いは大変なことなのだなあ、と思わされます。

(キリストは)やぎと子牛との血によってではなく,ご自分の血によって,ただ一度,まことの聖所に入り,永遠の贖いを成し遂げられたのです。
ヘブル9:12

ところで今回教えられたのは,祭司のつとめからです。一晩中朝までいけにえを燃え続けさせ、消してはならない。そして朝ごとにたきぎをくべ,またいけにえをささげる、ということをしなければなりません。それなりにシフトを組んでローテーションで働いていたとは思いますが。

教会で神のため、人々のため働く者として,ここを読んだ時に,私自身がいつも神様の近くにおり,いつも神様とつながり,神様に従い,人々が神様に近づきたい時に助けられるよういつでも霊的にスタンバイしておく、ということを思わされました。

何かに書いてあったのですが,

霊的な指導者にとってなによりも大事なことは、自分自身が神と太いパイプでつながっているということだ,

という意味のことをどなたかがおっしゃっていました。自分自身には何もなくても,神さまとつながっていれば,神さまの良いものを人々に流すことができるはずなのです。いつもよく思い出して,励みにしていますが、そういうことを思い出しました

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