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子どもを愛するイエスさま〜夏休み明け〜
8月は更新せずに終わってしまいました〜 

子どもが夏休みでバタバタしていたもので…。
ある方が言っていました。「バタバタっていったいなんなんだ?!」と。確かにそうですよね。ただの言い訳です。はい。 

先日ある方とお話ししていて、ブログ楽しみにしています〜と言われ、全然更新していないのが恥ずかしくなり、また、楽しみにしている方もおられるのだなあ、がんばろ〜うとも思い、すっかり重くなってしまった腰を上げて(?)久々に書き始めました。

 子ども夏休みつながりで、最近教えられたこと。 

マルコ10:13〜

  さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。

イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。 …」

そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。 

子どもの夏休みが明け、給食が始まった日。子どもは3時くらいまで帰って来ません。久々にひとりになれる自由にわくわくし、開放感に満たされていた私。その日の婦人集会のメッセージがこの箇所でした。 

弟子たちは、子どもたちがイエスさまを煩わせてはいけないと、子どもたちを追い返します。ここの箇所からすると、もしかしたらイエスさまたちは、働きの後、ゆっくりしていた時間だったかもしれない、と。

ゆっくりしている時に、子どもたちがワア〜〜〜〜と来る。この時の大人の気持ち、わかりますねー! 

 でも、イエス様は違いました。「子どもたちを来させなさい。」子どもたちを追い返そうとする弟子たちの心に憤られました。  

イエスさまは、自分がゆっくりしたい、ガシャガシャされたくない、そういうことよりも、子どものたましいを愛して、子どもをむしろ招いて、抱き寄せたのです。抱く…「別にきてもかまわないよ」、という許可以上の、子どもがいとおしいという心を感じました。 

そのイエスさまの心は、夏休みが終わって子どもがいなくなってスッキリした〜みたいな開放感に満たされている私とはまったく違うな…と思いました。イエスさまみたいな心で育てられた子どもはどんなに幸せでしょう。それに比べると、私の子どもには、申し訳ありません、悔い改めます、という思いでした

 この話はまだ続き、家に帰って、子どもが帰ってくる時間、私は祈りました。

「神さま、もうすぐ子どもが帰って来ます。さっき教えられたように、イエスさまみたいに子どもを心から迎えられるように助けてください。」  人間的な肉の思いだけですと、「ウワ,帰ってきちゃった〜」という反応になるのでね。 

するとどうでしょう。「ただいま〜!」とigりんが帰って来ました。そしてそのうしろにもうひとり、ランドセルを背負ったままのお友達がくっついてきました。なんでも鍵が開いてなくて、お兄ちゃんが帰ってこないと家に入れないからここにいていいか?ということです。その子は結構昭和のわんぱく坊主みたいな子なので一瞬だけ(一瞬だけですよ!)ヒエっと思いましたが、先ほど祈ったおかげでか、心でイエスさまに祈りつつ、喜んでお迎えできました。 

そのあとはWiiゲーム大会が始まり、ものすごい大絶叫で私の鼓膜はブルブル振動するくらいでしたが、イエスさまのお心にはげまされてその子のたましいを愛する心ですごせました。

その後学校で遊ぶ約束をして来たらしいお友達も数人加わり、夏休み明けて久々のお友達大集合〜の日となりました。静かにゆっくり過ごす時間は一変し、大絶叫と大歓声に包まれましたが(ゲーム内容はロンドンオリンピックでした!)、でも本当に、イエスさまの心にはげまされて、たましいを愛する心で過ごせました。久々にお友達のお顔を見れた喜びがありました。 

イエスさまの愛の心にはげまされてお友達を迎えられるように、そして、一番喜んで迎えて下さるイエスさまのところにお友達が行けるように、そう祈ります。

 この9月は、よくこのみことばを思い出して、はげまされて歩んでおります
| 聖書 | 22:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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