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クリスマス顛末記
今年のクリスマスに、マンションの子どものお友達とママさんが集まるクリスマス会で、イエスさまお誕生の紙芝居をすることができました。

私はどちらかというと内気ですし、そんな大それたことはとてもできないと思っていましたが、今回なぜかできることになってしまいました。今ふりかえっても、よくやったなあ〜とこわくさえ感じますが、できて本当によかったです。させてくださった方々にも感謝します。そこに至るまでの神様からの多くの励ましと導きを残しておきたく、書くことにしました。

私たちはこのマンションに2010年4月に引っ越して来ました。今5年生と3年生の子どもには、同学年のお友達がたくさんいます。このクリスマス会には2010年、2011年といつも声をかけてくださり、参加させていただいていて感謝でした。仲良しのお友達が勢揃いして、楽しいゲームとたくさんの景品、食べきれないほどのお菓子で、みんな楽しみにしています。

私は感謝しつつも、「クリスマス会」と名前がつくと、どうしてもイエス様が全く出てこないことにどこか「う〜〜〜〜ん」と空虚感と無力感を毎回感じてしまうのでした。クリスマス会という名前のお楽しみ会だ、と割り切ればいいんでしょうけどね。その時期はいつも教会ではクリスマスに向けてイエスさまを伝えるために激務をこなしている時期なだけに、余計に感じてしまうんでしょうかね…。毎年、「ああ、ここでイエスさまの紙芝居なんてできたらいいんだけどなあ。」と夢のように思っていました。
クリスマス前に、ある教会の婦人がこう言っておられました。
「色んなクリスマス会によばれてあっちこっち行くんだけど、な〜んか疲れるんですよね…。どうしたらいいんですかね。」その方は幼稚園のお子さんをお持ちで、お子さんはものすごくまっすぐにイエスさまのことを友達に話すのだそうで、子どもってまっすぐですよねえ、という話もしていました。
私はその問いに対し、「ああ、わかります、わかります!」と共感はしたものの、そして、「イエスさまの紙芝居でもできたらいいですよね」…と言いたかったものの、自分はそう思いながらもやっているわけではなかったので、言えませんでした。
17日(月)に、教会のI姉の働く施設で、I姉プロデュースでクリスマス賛美コンサートをしました。私はピアノ伴奏などでのお手伝いです。I姉はまったくのノンクリスチャンの人々の前で、明るく堂々と、証しされていました。あるメンバーが、「あまりやりすぎると、やめさせられるよ。」と冗談まじりに言いました。I姉は、「いいのよ、やめさせられても。そしたらまた次にどっか行って、同じようにやるから!」と言いました。パウロみたいですねえ。でも「迫害がないように祈ってください」と言われていました。まったく恐れがないわけではないんですよね。祈りながら、力を頂いて、明るく大胆にされているんですね。とても励まされました。
18日(火)は、婦人集会の年齢別学び会というのがありました。このときもクリスマス前だからか証しの話で盛り上がって、特にある姉の小学校低学年のお子さんの伝道者っぷりに皆感嘆し、「Kちゃんは師匠やな!」と話しました。Kちゃんは、ふだんからよくお友達に福音を語り、何人も救いに導いているそうです。迫害もものともせず、親の心配もよそに、語り続けるのだそうです。学校のお楽しみ会では、他のグループはダンスなどをする中、Kちゃんのグループは、Kちゃんの企画で、イエス様の降誕劇をすることになったそうです。ほんとうにすごいなあと、励まされていました。
婦人集会の後に、恒例の、教会のおとなりの病院でのキャロリングがありました。最近は紙芝居を賛美のあいまにさせて頂いていて、今年は私が担当する番でした。私はあまり上手ではありませんが、私なりに紙芝居を読み込んで、練習し、紙芝居だけだと降誕だけになるので、最後に1枚だけ十字架の絵を出して、福音もつけ加えました。集まった患者さんたちが皆さんよく聞いてくださり感謝でした。
わたしはここまでこのように様々なことで励まされ、こんなにみんながんばっているのに、私が何もしないのではいけないじゃないか、と良い意味で迫られるものがありました。
子どものクリスマス会は21日(金)でした。そうだ、この前病院でした紙芝居はまずまずの評判だったし、練習もできているし、一度話を持ちかけてみようかな。メールするだけしてみよう。後はその返事次第で、どちらになってもかまわないから、みこころがなりますように、とゆだねてメールしてみました。19日(水)でした。断りにくいだろうからと思って、断りやすい文章を考え、遠慮気味に書いて送りました。S学会の方もおられますし。
…すると、次の日に、「ぜひお願いします」というメールが返ってきました。正直なところ、「わ、することになっちゃった。どうしよう。」と思いました。すぐに紙芝居を教会に取りに行って、再度練習をし始めました。子どもに言うと、子どもが不安がるかもしれないと思ってナイショにしておきました。だいたい私自身が不安でしたから。ちなみにその日の夜は、教会恒例の千里中央バスターミナルでのキャロリング、チラシ配布でした。これもまた教会の部会を超えた皆さんがひとつになってキリストを伝える、すばらしいひとときでした。
そしてクリスマス会です。楽しいゲーム、お菓子タイムの後、おもむろに司会のママさんが、「今日は、ayuちんとiguりんのお母さんが、紙芝居をしてくれますよ〜!」と言って、それは始まりました。iguりんはあまり反応が表に出ない子なので分かりませんが、ayuちんは明らかにびっくりして動揺していました。ちょっとかわいそうだったかな…。お菓子タイムのお片づけの時間だったので、ママさんたちは私の背後でお片づけをしていました。子どもたちが20人くらいかなあ、1年生から5年生まで、私の前に座って、話を聞いてくれました。
今までゲームとお菓子しかなかったクリスマス会で、いきなりよく知らないおばちゃんがイエスさまが〜とか話しだして、いったいなんなんだこれは?!というアウェイな空気をビシビシ感じました。サッカー日本代表が北朝鮮で試合した時の気持ちってこんなんかなあなんて思いました。でもこのマンションの子どもたちは本当にいい子たちで、最後まで、さっきまでの騒ぎは何だったのかというくらいに、本当にシ〜〜〜ンとしていました。シ〜ンというのは二つ考えられますよね。 ―乎罎靴討い襦´▲轡蕕韻討い襦,気△匹辰舛任靴腓Αそれは私にもいまだに分かりません。多分どちらもいたかな、と思います。
終わると、子どもたちはさっそく次のゲームです。またもとの大騒ぎ。ママさんたちは、「すご〜い」「勉強になったわ〜」などと言ってくれました。優しい皆様、ありがとうございます…。
良かったのかなあ、どうだったのかなあ、と自分でも評価が定まらないまま、次の日の土曜日には早天祈祷会に行きました。みことばと祈りの時を持つ中で、伝道者の書のみことばが私の励ましとなりました。
「あなたのパンを水の上に投げよ。
 ずっと後の日になって、
 あなたはそれを見いだそう。」
今の時点でどうだったのかはわからない。水の上に投げたパンのように消えてなくなったように見える。でもこのみことばの通りになり、ずっと後の日になるだろうけど、きっと実がなる。そう信じました。このみことばに信頼していこう。そう落ち着きました。
その日の昼にまたクリスマスの最後の練習のために教会に行く時に、クリスマス会でひとりだけ私の正面から紙芝居を見て下さっていたママさんとエレベーターでバッタリ会いました。私はいそいでいたこともあって「こんにちは〜昨日はお疲れ様でした〜!」みたいな月並みなあいさつをしたのですが、そのママさんが、「昨日は本当に、ありがとうございました!」とお礼を言ってくださいました。ふだんあまりことば数の多くない方なので、その方がわざわざそのようにお礼を丁寧に言ってくださったことが意外で、私には感謝な励ましとなりました。
その時にいたお友達の中には、教会に来てくれたことのあるお友達も何人かいます。でも今は来ていません。そういうお友達に、イエス様を思い出してほしかった。
S学会のお友達は、教会に来ることはないでしょうから、福音を聞くことがありません。こんなに近くにいて毎日のように接していながら、福音を伝えることができないまますぎてしまうことに、このままでは…と責任を感じていました。一度でいいから伝える機会がほしいと思っていました。
そのほか教会に来たことのないお友達みんなに、聞いてほしかった。
内容としては本当に簡単な福音メッセージなので、福音を知るという点でどこまでお役に立てているか分からないのですが、そのように今まで夢のように思い、願っていたことがこのような形で実現し、主に感謝します。
次はどうなるのかは分かりませんが、それはそれでまたそのときの導きにゆだねます。
そして、今回のことは、
「ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう」
このみことばに信頼していこうと思います。
| 日常 | 11:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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