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八木重吉ワールド*
 子どもの国語の教科書に八木重吉の詩が載っています。先日娘が、教科書を声に出して読む「音読」という宿題をしていました。


「光」

ひかりとあそびたい
わらったり
哭(な)いたり
つきとばしあったりしてあそびたい


NHKの子ども番組でも、八木重吉の詩を歌にしたものが歌われています。


「心よ」

こころよ
では いっておいで

しかし
また もどっておいでね

やっぱり
ここが いいのだに

こころよ
では 行っておいで



私が、「八木重吉って、クリスチャンだよ。名前だけじゃない、本っ当のクリスチャンだよ!」というと、娘は「へえ〜そうなん?」と興味ありげだったので、八木重吉の信仰の生涯を書いた本をひっぱり出してきて、見せました。
それに対する娘の感想

「キリストとかばっかり。」

…おしまい。ガクッ

娘が早々に放り出した本を久しぶりにパラパラとめくっていると、私がハマってしまいました。
むか〜しの人なのに(1898~1927)、時代の隔たりをまったく感じさせない、すなおな詩です。心が洗われるような、というのはこのことかなという感じがします。たとえば…


草にすわる

わたしの まちがいだった
わたしのまちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる


自然の中にいると、素直になりますよね。
また、私が、最近なぜか思い出してしまう、心に残っている詩はこれです。


幸福なひとはだれか
おそらくは
ひとむかしたっておとずれる故郷(ふるさと)への田舎道を
ほがらかにあゆむ しずかなこころを
常住にたもちうる そのひとであろうか
あるいはまた
春がきてもえいずる草のこころの
そのしずけさをおどろきかんじて
「名」をゆめみだにせぬ そのひとだろうか?


私はわりと「緊張しい」なので、確かにいつもこういう心持ちですごせているなら幸せだなあと思いつつ、思い出してしまいます。特に前半が好きです。

信仰の詩もいい詩がたくさんあります。


このよに
てんごくのきたる
その日まで わがかなしみのうたはきえず、
てんごくのまぼろしをかんずる
その日あるかぎり
わがよろこびの頌歌(うた)はきえず


私はこれが好きです。↑

  ***

きりすとを おもいたい
いっぽんの木のようにおもいたい
ながれのようにおもいたい

  ***

「基督(きりすと)」

基督が眼のまえへ現れたら
すぐに私はくっついてゆきます

  ***
  
「ゆるし」

神のごとくゆるしたい
ひとが投ぐるにくしみをむねにあたため
花のようになったらば神のまえにささげたい

  ***

むつかしい路もありましょう
しかしここに確かな私にも出来る路がある
救ってくださると信じ
私をなげだします


結核を患い、奥さんと二人の幼い子どもを残して29才で天に召されました。死を覚悟した時に、「子どもたちを立派なクリスチャンにしてほしい。」と奥さんに語ったそうです。詩集の原稿料が入った時に、2円の原稿料で、さっそく20銭の聖書を10冊買って、色々な方に差し上げたそうです。奥さんは、「八木は、生きている間は伝道が一つもできなくて、それがとってもイエスさまに申し訳ないと思っていたんですよね。だから、八木の詩が今、イエスさまを伝えるお手伝いをしていると思うと、ほんとうにうれしゅうございますね。」と語っておられます。最後に奥さんが一番好きだという詩を紹介して終わります。(奥さんは1999年に94才で天に召されました。)


素朴な琴

この明るさのなかへひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかねて
琴はしずかに鳴りいだすだろう


参考本:「八木重吉に出会う本」フォレストブックス





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