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カラスを使って養う神様
 「ここを去って
  …ケリテ川のほとりに身を隠せ。
  …わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」それで、彼は行って、主のことばのとおりにした。
  …幾羽かの烏が、朝になると彼のところにパンと肉とを運んで来、また、夕方になるとパンと肉とを運んで来た。 
第1列王記17:3〜6


預言者エリヤは、いつも王様から命をねらわれ、ハラハラドキドキ、ギリギリの生活でしたが、いつも全能の神様の奇蹟の数々を見続ける生活でした。飢饉の時、神様は烏に命じてパンと肉を朝夕エリヤのところへ運びました。(ちなみにこの後ケリテ川の水が枯れると、今度は飢死寸前のやもめと子どもの家に住むように導かれ、かめの粉とつぼの油が尽きないという奇蹟によって養われます。)

神様の奇蹟を見続ける生活ってすばらしいなあと思いました。
(窮地に追い込まれるときに奇蹟があるので、奇蹟を見るには窮地に追い込まれることもセットになるのだとは思いますが。)
神様の奇蹟を見る生活を良いビジョンとして抱き、子どもたちにも神様が生きておられることを見せてあげられるような生活をしたいなあと思いました。

「神様が必要なものは与えてくださっていますよ。」と信仰によって子どもに言うことがあります。

でも私が実際に口スッパく言うのは「節約!」「それは買いません!」…言っていること自体は悪くないですが、問題は気持ちの部分なんですよね。気持ちが切羽詰まってしまっていて、神様が養って下さる、という主への信頼からくる心のゆとり、豊かさみたいなものが足りないような気が…。子供は親の本心の部分を、敏感に感じ取り、影響を受けていくものだと思いますので、反省しています

必要ならばカラスを使って養うことができる神様に信頼し、「ああだこうだとカリカリしてウルサい母」ではなく、「神様の御手による養いに信頼し、実際にそう成っていくことを見せてくれる母」でありたいと思います

追記:この記事を下書きした後で、先日ホワイト先生が水曜集会にきてくださり、ちょうどこの箇所からメッセージをしてくださいました。カラスの話とやもめの話から、「ささげることの祝福」を教えてくださいました。主のために仕え、ささげるとき、主は祝福して必要を備えてくださる。厳しい現状の中でもこの信仰をもって主のためにささげ、主からの祝福を信仰の目を持って期待する生活。すばらしいなあと教えられました。感謝します。

蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。
第2コリント9:10













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