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罪、救いについてはっきりと話す
今日は教会の婦人の地区集会でした。
イエス様を信じる前、たましいの叫びのようなものはありましたか?
という質問に対する、ある方の答え。

「それが何かはわからなかったけど、何か助けを求めていた。夫婦関係、子育てなどの悩みの中で。それで、キリスト教会に行けばやさしい人がいるんじゃないかという気がして行った。そこでは、年が上の人ばかりで、あんまりだった。話が、この教会のように、罪のことなどはっきり言わなくて、遠いまわりの話ばかりで、よくわからなかった。だからなぜ救い主が必要なのか、よくわからなかった。…」

今は、この教会で、私たちはみな罪人で救いが必要であり、罪のない神の子救い主キリストが十字架にかかって身代わりに罰を受けてくださり、復活され、私たちを救ってくださったということがはっきりとわかられ、確固とした信仰を持っておられる方です。

色々考えさせられるお話でした。
教会で、やさしい人が迎えてくれる。これは基本的なことかもしれませんが、大事なことだと改めて教えられたこと。
罪とその罰について、キリストの十字架による救いについて、はっきりと語ることが大事であること。色々気にしたり、気をつかいすぎたりして、まわりくどいはなしや、神は愛だ、恵みだ、と耳ざわりの良い話ばかり話しても、本当に求めている人にとっては、かえって「なんだかよくわからない話」にすぎないことになってしまうこと。

多くの人は聞かないかもしれませんが、本当に求めている人にとってよくわかる話ができる者であれるように、はっきりと話せるように、と願いました。

※使徒の働き16:9〜10
ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。
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