<< なぜか子どもに大人気 簡単 韓国風 豚バラだいこんサラダ | main | 伝道が足りないんじゃないですか!? >>
私とキリストとの出会い 
久々の投稿です 
先日の婦人会週報のために書いた私の信仰の証しを載せておきます。WELCOME CHURCH DAYの日の発行と聞いていたので、ノンクリスチャン向けに意識して書きました。

信仰の原点をふりかえる機会となりました。 生きるために必死でみことばに従おうとしていた頃を思い出しました。今は恵みでやすらかに歩んでいますが、みことばに従うという点で、昔のようなみことばに食らいついていく必死さが足りなくなっている!?と思いました。改めて自分の信仰の原点に立ち返り、今のように生きることができるようになったのはなぜだったのかを思い出し、みことばにひとつひとつ必死で従っていきたいと心新たにしました。

できる限り削ったつもりなのですが、それでもかなり長いです…
 

「私とキリストとの出会い」  

私は、先に信仰を持った母に連れられて、幼少期より教会に通っていました。教会では、聖書から世界を造られた神様の話、救い主イエス・キリストの話を聞き、子どもらしい素直な心で自然と受け入れていました。

 しかし高校生の頃から、自分自身の内面を見つめるようになり、自分の自己中心さや人間性の未熟さを思い知らされ、自分はだめな人間だと思うようになりました。自分を嫌いになると、なぜかまわりの人のことも嫌いになっていき、こころは嫌悪感で満ちていました。生活は無気力になっていきました。

 特にこれといった志もなく大学に入り、最初はクラブに忙しく毎日が過ぎていきましたが、事情でクラブを辞めることになると、私はいったい何のために生きているのだろう?と路頭に迷ってしまいました。広い海の真ん中にぽつんといるような孤独感がありました。自分はだめな人間だ、という思いも変わらずありました。神様は愛してくださっている、と聞いても、その頃の私の心には響きませんでした。しだいに私のこころはバランスを失っていきました。 

人と会うことがこわく、朝起きられなくなり、大学に行けなくなりました。出席日数が足りず、卒業を間近にした4年生のときに留年が決まりました。この頃は私にとって、とてもつらい時期でした。親をはじめ周囲の方々には多くの心配や迷惑をおかけしました。しかしそのつらさの中で、私はやっと神様と本気で向き合うようになりました。 

自分にもまわりにも頼ることができなかった私は、上方向を見上げて神様に頼ることにひとすじの光を見いだし、希望をもちました。「神様、私はもう生きていけません。神様には私に計画があると聖書にありますが、こんな私にいったい何の計画があるというのでしょうか?神様、本当におられるのでしたら、そして私にまだ計画があるというのなら、私を助けてください!」と魂の叫びで祈りました。 

どれくらいの期間祈っていたか覚えていませんが、祈っているうちに、「人間を造った神様のことばである聖書のみことばに従っていけば、神様に生かされて、まっすぐに生きていけるはずだ」という希望が心にめばえました。そして懸けるような気持ちで、神様と、神のことばである聖書のみことばを本気で信じ、本気で希望をそこに置くようにしました。ひとつひとつのことばに向き合い、本気で従うようにしました。 

「わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。」
詩篇32:8 

「わたしは…略…わたしのおきてを彼らに与え、それを実行すれば生きることのできるそのわたしの定めを彼らに教えた。」
エゼキエル20:10〜 

そうすると、こわれていた私の人生の歯車が、ひとつずつ正しくかみ合い出し、少しずつ前に動き出していくのがわかりました。やはり、みことばは真実だなあ、神様は本当に生きておられるなあ!と確信していきました。 

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」
ヨハネ14:6 
道そのものであるイエス・キリストに、ただついていけばいいんだ、そう教えられ、キリストについていくことに心を定めました。神様の愛も少しずつ実感していき、うれしさや安堵感から、感動してよく泣きました。 

ゆりの花のことを考えてみなさい。…略…きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装ってくださるのです。ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。」
ルカ12:27〜 

それからも、私自身は愚かな罪人で、みことばに従ったり、従えなかったり、一進一退の歩みをしてきました。しかしそんな私の罪のために神の御子イエス・キリストは身代わりに十字架で死んでくださいました。そしてよみがえられました。神様はただキリストのゆえに私の罪を赦してくださいました。赦されて、恵みによって、また再び従う力が与えられました。神様の大きな愛に支えられて、今までキリストと共に生きてくることができました。

 また、罪赦された者として、天の御国に入る約束を頂いています。この世では辛いことがありますが、いつか天の御国に行き、キリストと顔と顔を合わせて出会い、「よくがんばってきたね」と迎えられる時を楽しみにして、希望を持って生きています。 

「神は、実に、そのひとり子(キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
ヨハネ3;16 

私は幼い頃から教会に通っていましたので、たましいが迷った時に、帰るべきところに帰れたことは幸いでした。日本では教会に行ったことがない、聖書を開いたこともない、神の愛もキリストによる救いも聞いたことがない、そういう方が多いと思います。最近は自殺する方が多くなり、社会問題となっています。本当にたましいが迷い、生きていけなくなった時に、帰るべきところがあることを、生きていく道があることを、多くの方に知っていただきたい、そう心から願っています。 

「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。」
第1ペテロ2:25   
| 聖書 | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://akiko.eriya.jp/trackback/88
トラックバック