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ドイツ旅行記
8月下旬に兄の結婚式でドイツに行かせていただきました。

人生も折り返し地点をすぎての(←平均寿命参考)初海外。ドイツに行くことはきっと最初で最後だと思うので、ドイツ旅行の色々を忘れないうちに書いておこうと思います。すでに忘れかけていますので…。

★ドイツは寒かった。
日本では30度越えが当たり前のこの季節。事前に調べて、ここ1週間は最高気温16度くらいという情報を得ていましたが、最高気温16度って、どんなかんじ!?と見当がつきませんでした。お花見のころくらいかなあ…とばくぜんと予測し、夏物プラス薄手の長袖のはおりものを用意していきました。ところが!ハンブルク空港から外に出たとたん…「サムッ!!!」これは秋から冬だよ!これはあかん、かぜひく〜!特に日が落ちてからがほんっとうに寒くて、薄手の長袖ではさむくてさむくて、ダウンジャケットを着ている人を見て、「いいなあ〜あったかそう!」と思いました。夏でこれでは、冬はどれだけ寒いのだろう、と思いました。

★自転車が多い
自転車が多かったです。歩道には必ず自転車専用レーンがあり、はじめよく知らないで歩いていると、「そこは自転車だよ!」というようなことをドイツ語で言われました。ちょうどその日曜日にハンブルクの街全体で自転車レースが行なわれていました。日本のマラソン大会みたいに、道路が自動車立ち入り禁止になって、自転車がビュンビュン走っていました。沿道には応援する人々の姿が。でもその影響で、私たちを迎えに来てくれた兄の車が大渋滞に巻き込まれて動けなくなり、私たちは電車で教会の方まで行きました。この辺では年に数回自転車レースがあるそうです。大変…。

★電車の改札がない
そうそうそれで思い出しましたが、電車に乗るとき、降りるとき、改札がありません。これには「エエ〜ッ!」とビックリしました。あれ、あれ、どこでチェックするのかな?と思いつつ乗っていたら、結局駅を出るまでノーチェック!改札ないんか〜い!話に聞くと、時々抜き打ちで私服を着た乗組員の方がチェックしにくるらしいです。そしてそのときもし無賃乗車だったりしたら、罰金が何千円か何万円だったか、とにかくものすごく罰金をとられるらしいです。

★有料トイレ、トイレの水の流し方の違い
話に聞いていましたが、外の公衆トイレは、たいてい有料でした。空港内やレストラン内は無料でした。1ユーロ(このとき140円くらい)か0,5ユーロでした。でも有料のところはさすがに有料だけあって、受付の方やお掃除をする方が必ず常駐されていました。だからキレイ。でも、こんなに寒い国なのに、日本みたいに電気の通ったあたたかい便座は一つも見かけませんでした。冬はツメタイだろうなあ、と余計な心配…。公衆トイレの数自体が少なく、利用の仕方もよくわからず、聞きたくても言葉がわからないし…と、トイレについてはほんとうに苦労しました!日本に帰って来て、トイレはたくさんあるし、便座はあたたかいし、わからなくても日本語で聞けるし、「日本に帰って来て良かった〜!」とホッとしました(笑)。流すレバーは日本のようなタイプではなくて、たいてい弁当箱くらいの大きなスイッチを、上に押すと流れる、下に押すと止まる、というものでした。自分で止めるタイミング決めちゃうのね!と驚きました。流れ終わったらすぐ止められるので節水のような気もしましたが、止め忘れて流しっぱなしになっているトイレも見かけました。あれは誰かが気づくまで流れっぱなしですから、大変ですね…。

★夜9時まで明るい
夜が明るいです。明るいから気分的には夕方なのに、時計を見るともう8時半だったり…。ハンブルクは建物がとても美しく、主人が夜景を写真に撮りたいというので暗くなるのを待っていると、暗くなったのは9時でした。(あ〜このとき本当に寒かった…泣。)でも本当に夜景がきれいで、川や湖に反射してまた一段と美しく、ayuちんは夏休みの思い出の作文に、このときの夜景について書いていました。

★店が8時に閉店する。そして日曜は開いていない。
お土産を買いたくて、結婚式の帰りに買い物をしようとショッピング街へ出かけたのですが、8時になると(ちなみにまだ外は明るい)、「出ろ!出ろ!」というようなことをドイツ語で言われ、何も買えないまま外に出ました。そしてどこの店も8時きっかりにパタパタと閉店してしまいました。うわ〜日本と違うんだなあ〜と思った瞬間でした。また、日曜日はどの店も閉まっていて、街全体が静かでした…が、例の自転車レースがあったため自転車だらけではありました。駅構内だけは店が開いていて、そこでおみやげなどをかいました。でもいいですね。客としては不便ですが、働く皆さんにはゆとりがあるのではないでしょうか。日本は夜遅くまでの営業、24時間営業、年中無休、そのため夜遅くまで残業、休日返上…という感じがあたりまえですから、客としては便利ですが、働く皆さんは本当に身も心も疲れてしまうのではないかと思います。ちなみにドイツにはコンビニもないと聞きました。なんだか今の日本は便利ですが、どうなのかなあ〜、ドイツのこのペースは人間らしく生きれていいのかもしれないなあ〜、などと考えてしまいました。

★日曜の朝に教会の鐘が鳴り響く。教会が多い。
日曜の朝、10時でしたか、教会の鐘が「ゴロンガラン〜ゴロンガラン〜♪」と長い間(私の感覚では5分間くらい!?)、ハンブルクの街全体に鳴り響いていました。母によると、「日曜日ですよ、教会に行きましょう〜!」という合図の鐘だそうです。うわ〜なんてすてきなのかしら〜!!日本のクリスチャンからすると、本当に「いいなあ〜〜〜〜!」とあこがれます。日本で鳴り響くのは仏教のお寺の鐘ですから…。でも聞いた話によると、最近の若い人は教会離れしているそうです。なんでも教会に行っている人は、教会税があるとか。クリスチャンが減り、仏教やイスラム教は増えているそうです。…残念。それから、古〜〜↗︎くて、大き〜〜↗︎い、レンガでできた歴史的建造物のような教会が、びっくりするくらいあちこち近所にありました。それだけ必要があったのかなあ。今でも日曜日にはその教会に何百人も集まっておられるようです。主人とigりんは、その一つの聖ペトリ教会の上の展望台まで、ひたすら階段をのぼって、汗をぼとぼと流しながら上まで行ったそうです。ちなみにハンブルクの日本語教会のために部屋を借りているのはFreie Evangelische Gemeinde Holstenwall教会というところで、この建物は近代建築ですが、市民会館みたいなリッパな建物でした。外壁はやはりレンガでした。とにかく、ドイツという国におけるキリスト教の歴史の長さ、そして文化として深く根付いていることを感じました。

★ルターの街に行きました。
ドイツ、キリスト教、といえば宗教改革者「ルター」ですが、ルターの街と言われるヴィッテンベルクに行きました。免罪符(調べてみると、今は贖宥状というらしい。私は歴史の授業で免罪符と習いましたが)の販売などに代表される当時のカトリックの腐敗に対し、聖書にもとづいて、「キリストを信じる信仰のみによって救われる」という正しい福音、いわゆる「信仰義認」を訴え、迫害の中でも正しい信仰を貫き、プロテスタント("抗議者”の意味)の始まりとなった方です。その当時一般市民は読めなかったラテン語の聖書を、みんなが読めるようにドイツ語に訳したそうです。宗教改革の発端となった「95か条の論題」を貼り付けた聖堂や、ルターが説教した教会、ルターの家、ルターの直筆の楽譜(御神は城なり)…などがありました。私は「へえ〜」という感じでしたが、主人的にはプロテスタントの源流がここにあるということに思いを馳せると、ものすごく感動したらしく、また行きたい!!と言っています。いずれにしても、正しいキリスト信仰に堅く立つことには迫害が伴い(カトリック教会を破門にされ、命もねらわれたらしい)、それでも信仰を貫き通したルターさんの信仰に思いを馳せ、尊敬の念を新たにしました。

★建物が美しい
私は、結婚式関係を別としまして、ドイツで何が一番良かったかというと、街並の美しさでした。レンガや石でできた古く重厚な建物が並び、新しい建物もそれに溶け込んでいました。レンガ作りの古い教会の高い塔があちらこちらに見えています。足元は石畳です。街全体に落ち着いた空気がただよっていました。

以上、日本と違って印象的だったことを書いてみました。
あとは、ドイツの人々とのふれあいや、結婚式関係の話を書きたいと思っています。




 
| 日常 | 11:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
祈ってたら神様が教えてくれはるンや
読書感想文が続きますが〜…

「おかんとボクの信仰継承」ー大嶋重徳ー を読みました。
なぜかというと、バスででかける用事があり、小さなカバンに入れるのにちょうどいいコンパクトさだったのと、
教会の、私の主人と同い年のK姉が、著者さんと大学時代の知り合いだと聞いたことがあったので。

いやいやおもしろくてあっという間に読みました〜。
帯の「笑えて泣ける家族の話」というキャッチフレーズがそのままでした。

うちの子どもはぼちぼち思春期に入りつつあり、親として、少年少女時代と違うシフトチェンジを考えさせられているところなのですが、ちょうどそういう時期にさしかかっている親が読むと励まされる1冊だと思いました。

この日本で、日本人が、信仰継承することのリアルな戦いが、まさに笑いあり涙ありの明るいタッチで描かれています。
お父さんはノンクリスチャンなのですが。でもこのお父さんとのやり取りも大変ユニークです。

最後の方には、親となり、信仰を繋ぐ側になっての葛藤の日々が少し載せられています。

●形式や口だけではない、ホンモノの中身のある信仰を持って、本気で正面からぶつかっていくこと。
●よく祈って、鋭い嗅覚をもち、ここぞというときにタイムリーな忠告、または励ましができること。

そのようなことの大切さが、全体を通して心に残りました。
最後に少し抜粋。


「子どもと向き合う」という姿勢が大切なんだと思う。聖書を本気で信じる親が、子どもと目と目を合わせて向き合うことから逃げ出さないこと、後回しにしないことが大切だ。…野性的な嗅覚で、天性のひらめきで、親だけがもつ勘で、子どもが約束したことを守らずに逃げ出そうとしたとき、神様から目を背けようとしているときに、一歩も引かずに向き合った。


おかんの嗅覚の鋭さも祈りからきている。
おかんに「なんでいろいろこっちのことがわかんの?」と聞くと、「祈ってたら、神様が教えてくれはるンや。へへっ」と言ってのける。
信仰継承は祈りだ。いや祈りでしかない。子どもに何を語りかけるか、すべては祈りの中で神様からいただいていくより、信仰継承の道はない。主から、みことばと祈りで教えていただきながら子育てをなすこと。自分はおかんのように、子どもと関わる言葉を祈りの中で手に入れているだろうか。


 
| 子育て | 20:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「肉」に「ノー」と言う
ある日、何か良い本を読んでみたいという思いがわいてきたので、家にあった「聖霊に導かれて進もう」ー井戸垣彰著ーを読みました。
なぜその本かというと、ラベルに「待望の良書復刊」と書いてあったので、きっと良い本のはずだ!と思ったからです(←単純)。

ひとことで言えば、とてもおもしろい(興味深い)本で、あっというまに読めました。

読み終わって心に残ったのは、結局のところ問題は、周囲との戦いではなく、自分との戦いなんだ、ということです。そう思ったら、なぜだかかえって気が楽になりました。心の向かうべきところに心が向いたということでしょうか。

どんなに大きな問題があったとしても、大事なのは、そこで自分がどうするか、ということです。

聖書で言う「肉」(生まれつき人間が持っている罪の思い)の問題がテーマで、一見難しそうに見えますが、クリスチャン諸先輩方の失敗談、経験談が正直に書かれていて、自分の生活と照らし合わせながら、「肉」の問題を身近な自分の問題として読むことができます。
以下いくつか抜粋。

「肉」の支配から解放していただいた。しかし「肉」は残っている。そしてこの残っている「肉」が、キリスト者生活の諸問題の根本である。では、私たちにとって大事なことは何か。
「ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。」(第1ペテロ2:12)
この残っている「肉」のありのままの姿を直視すること、そしてそれに対し、聖霊によって「ノー」と言うことではないだろうか。


私たちを幼子から成人へと成長させてくださるのは、内に住んでおられる聖霊である。しかし、ただ時間さえ経過すれば、自動的に成長するというのではない(ヘブル5:12)私たち自身が、「肉」の声と、また聖霊のみ声の中にあって、自分で、聖霊のみ声に従う道を選び取っていくこと、逆に言えば、「肉」に「ノー」と言うことによって、聖霊は働いてくださるのである。


「肉」を見分け、「ノー」と言い、進んで聖霊のみ声に聞き従っていくことができる。そしてそのようにするとき、私たちは、キリストに似た者へと変えられていく。



「肉」に「ノー」と言う。
聖霊に従う道を「選ぶ」。
「肉」に従う責任は負っていない。

このようなことが印象に残りました。覚えておきたいと思います。
上記の抜粋はちょっと難しい感じになってしまいましたが、色々な経験談が、ほんとに誰にでもわかりやすくていいんですよ。
また読みたいと思う本でした。



 
| いいことば | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
パセリと青しそ*今月の小ネタシリーズ
私は園芸があまり得意ではなく、家にある生きた植物は、約4年前の引っ越しのとき、お世話になった不動産屋さんからお祝いに頂いた「ユッカ」という観葉植物のみです。このユッカちゃんは、今まで色々な植物を枯らせてきた私の手にかかっても、いまだに元気でいてくれている、親孝行な(!?)丈夫者です。一度、ひとまわり大きな鉢に植え替えもしました!←プチ自慢

時々思い立って植物を置いたりするのですが、今回は、家庭菜園にチャレンジしてみよう!とコーナンへ行き、色々迷った末に、パセリとしその種を購入しました。

なぜパセリとしそかというと…料理の添え物やちょっとした薬味に、ちょっとあればいいなあ〜と思うけど、100円とか払って買うほどでもない。だから買わない。でも家にワサワサと茂っていれば、ちょこちょこ採って、緑がないお皿にパセリを添えたり、私の和風ハンバーグにしそをのせたり(子どもはしそを食べない)、スープにパセリを刻んで浮かべたり、想像しただけでもなんだかすてきだわ〜食卓が豊かになるわ〜🌹!と思ったからです。

種からなので、芽が出てくるまでヤキモキしましたが、1ヶ月ほど経って、今は双葉の次に本葉が出て、またその次の本葉がちょこっと出てきたところです。途中、「なかなか進まへんなあ〜やっぱり苗を買えばよかったわ〜💧」という思いもよぎりました。でも、種からだからこその愛着がありますね。毎朝パセリちゃんとしそちゃんの前に座り込んで、水をあげて、「わ〜昨日より大きくなってるな〜♥️」と、成長ぶりをじ〜〜〜〜〜っと見入るのが、今の私の一番の楽しみです(笑)。植物って、すなおに応えてくれますよね〜(泣)!←なんで泣!?

だからみんな園芸が好きなのかなあ。植物の素直さに、心が洗われます。人間は罪人だから、まっすぐに素直に成長するというのは、そうありたいけどなかなかどうして、そう簡単ではないと思います。

神様の恵みを身に受けて、神様の方を向いて、神様の望まれるように、まっすぐに素直に成長できますように〜!

神は仰せられた。「地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類にしたがって、地の上に芽生えさせよ。」そのようになった。

地は植物、すなわち種を生じる草を、種類に従って、またその中に種がある実を結ぶ木を、種類にしたがって生じさせた。神はそれを見て良しとされた。

創世記1:11〜12


あと、ミントもやりたいんですよね〜。手作りデザートにちょっとのせたりね。

ミントは苗にしようかな。あはは😝。


 
| 日常 | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
この方はご自分のくにに来られたのに…
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

ヨハネの福音書 1:9〜13


救い主イエス・キリストについて書かれているところです。
あるときイエス様を伝える者として、少しさびしい思いをしたときに、このみことばを思い出しました。
イエス様は、どれほどさびしい思いをされていることだろうかと思いました。

もとから世におられ、世を造った方なのに、世の人はそんなこととは知らず、イエス様を無視し、また軽蔑しています。
愛をもってすべてを捨てて来られたのに、拒絶されています。
どれだけさびしい、悲しいことなのだろうか、と想像します。

でもイエス様はそうして十字架の死を受け、復活をもって救いを成し遂げて下さったので、信じる私たちは罪を赦され、神の子どもとされ、永遠のいのちがあたえられる、そのすばらしい特権が与えられていることを、私は心からイエス様に感謝しています。そして、拒絶する人の中でも、イエス様を誇りとしていきたいと思いますし、いつもそうできるよう祈っていきたい思いです。

最近朝祈るときに、まず最初に反芻しているみことばです。


 
| 聖書 | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
神を敬ってしあわせ 〜伝道者の書から〜
旧約聖書の「伝道者の書」を読んでのAkiko的雑感。

この世の中の不条理、空しさ、混沌とした霊的な暗さをとつとつと伝道者が語っております…。
前向きに明るく生きようと考える人は、あまり深く考えすぎないようにしたりすることを、この書では淡々と書き連ねているという感じがします。ことごとくマイナスなさめた切り口からこの世の事象を見ております。確かにそれが真実でもあるわけです。でもやっぱり読んでいるとなんだか暗くなるような…。くもり

しかし!次のみことばを読んだとき、暗闇の中にポッとともったともしびのように、真っ暗な村に一軒だけあかりのともった家を見つけたときのように、あたたかい希望を感じました。

「罪人が、百度悪事を犯しても、長生きしている。
 しかし私は、神を恐れる者も、神を敬って、
 しあわせであることを知っている。
 悪者にはしあわせがない。」
伝道者の書8:12〜13


この世の中、正しく生きる者がつらい目に会うこともあるし、悪いことやゆがんだこともいっぱいある。でも、神を恐れて生きている者は、そんな世の中でも、神を敬って「しあわせ」だというのです。神と共に生きている者の、まわりの状況に関係ない、「真の心のしあわせ」を感じました。私も、私の家も、そのように生きていけますように。きゃvネコ

「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」
伝道者の書12:13
桜
| 聖書 | 19:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
igりんバプテスマ受浸感謝のあかし
婦人会の週報に掲載したものです。


12月29日、息子のigりん(小学校4年生)がバプテスマを受けることができました。ここまで守られてきたことを主に感謝いたします。婦人会の皆様にはいつもお祈りいただき感謝いたします。バプテスマ式には、まだ信仰をもっていない私の父(igりんにとってはジイジ)もスーツを着て出席してくれました。ドイツ在住の私の兄もちょうど帰国中で、見てもらうことができました。


現在6年生のお姉ちゃんや、まわりの同世代の友達は、ほとんどが2年前にバプテスマを受けました。igりんはいつもマイペースで、いつ決心するのかなあと思っていましたが、昨年夏のバイブルキャンプで、2年前にはいなかったたくさんのお友達と一緒にバプテスマ決心をすることができたことは、すばらしい祝福でした。

証しで述べていましたが、igりんは3歳7ヶ月のときに家で一緒にイエス様を信じるお祈りをしました。2歳上のお姉ちゃんに、福音がわかっているか再確認しようと話していると、igりんが「ぼくもう信じてる!もうわかってる!」と言いました。それで、じゃあ神様にそのことをお祈りしようね、とお祈りしました。今回バプテスマの証しを書くにあたって、igりんにその話をすると、まったく覚えていませんでした(笑)。でも、これも証しにありました通り、幼稚科クラスの先生からもよく教えていただき、一緒に祈っていただいたりしたようです。

教会が大好きで、日曜日や水曜アワナ、第3土曜ホサナキッズ、その他の毎週土曜日も奉仕に行く私達と一緒に、すべてに喜んで来ています。私たちはigりんの小学校入学と同時に教会の近くに引っ越し、通うことになった小学校は、教会に最も近い小学校でした。お友達の家が教会のまわりを東西南北ぐるっと囲んでいます。igりんは自分から教会に友達を誘う、ということはあまりないのですが、igりんのいるところには友達が集まるという人徳(?)が用いられてか、これまで数えきれないくらいたくさんの友達が教会に来てくれました。いつも夢を見ているような思いでお友達が教会に来てくれるのを見てきました。イエス様を信じた友達もいます。感謝します。続けてきている友達は今はいませんが、いつか蒔かれた種が芽を出しますように祈ります。日曜学校の先生方、またアワナもですが、楽しいプログラムを準備し、子どもの魂のために祈り、熱心に働き続けて下さっている先生方のご労苦があってこそであると思い、心より感謝しております。

これから高学年になり、難しい時期にさしかかるのかもしれませんが、今と変わらない純粋な信仰を変わらず持ち続けられますように。まっすぐに歩んでいけますように、祈ります。
最後に、igりんの好きな聖句として証しで引用していたみことばを書きます。

「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」マタイ24:35
| 子育て | 19:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
苦しみの重さを思いはかる 〜ヨブ記〜
気がつけば1月も今日で終わり。1月に一つも書いていなかったので、何か書こうと思います!いつも色々書こうと思うことはあるのですが、ついつい慎重になってしまって、後回しにしてしまいます。今日は1月が終わってしまうという勢いを借りて、書きます!

そうですね、最近読んでいるヨブ記から教えられていることを書いておきます。

ヨブはとても正しい人なのですが、神様とサタンの天上のやり取りがあり、苦しみに会うことになります。財産は失われ、子どもを亡くし、ひどい皮膚病になり、奥さんからは「神をのろって死になさい」とまで言われる、ひどい苦しみです。

友達が見舞いにきます。しかし、最初はあわれんでいた友達も、ヨブがこんなひどい苦しみに会うのは、ヨブが悪いことをしたからだ、神のさばきだ、と一方的に決めつけて、ヨブを責め、訓戒し始めます。本当は違うのですが、天上のやりとりなど人間は知りませんから。「悪いことが起こるのは悪いことをしたからだ」という考えです。

「苦しみの中にある人に、推測で、その人が悪いからだと考えるのは危険だ」、ということを思いました。どんな事情があり、その人への神様のご計画が裏にあるのか、わたしたちはわからないからです。ヨブの友達の言っている言葉自体は、正しいことを言っているのです。しかし、事情がわかっていないので、見当はずれなのです。ヨブ自身にもどうしてそんな苦しみがやってくるのか、わからないのです。背後には因果応報ではない神様の意図があるのですが、今はそれが隠されているのです。見当はずれにヨブを責め立て、訓戒しようとする友達に向かって、「そんなことは私だって知っている。でも今の私には何の慰めにもならない。黙ってもらっているほうがましだ」ということをヨブは言っています。

私は、そこまであからさまなさばきはしないとしても、何か難しい状況になっている人を見て、「この人にも何か悪いところはあるんじゃないかな」などと推測してしまう心はなきにしもあらず、と思います。目に見える物事の背後にある神様の深い意図などは私にはわかっていないのですから、はやまった見方をしないように、気をつけないといけないと思わされました。

また、自分が安泰であるときに、そのようにさばきやすい、ということも教えられました。

「安らかだと思っている者は
 衰えている者をさげすみ、
 足のよろめく者を押し倒す。」
ヨブ12:5

ではどういう心でいたらいいのか、ということで教えられたのが、「その人の苦しみの重さを思いはかる」ということです。

「ああ、私の苦悶の重さが量られ、
 私の災害も共にはかりにかけられたら。
 それは、きっと海の砂よりも重かろう。」
 ヨブ6:1

自分自身に置き換えて考えてみると、苦しいさなかに、「あなたはこういうところがだめだ、こうしたほうがいい」とか言われたところで、何の励ましにもならないでしょう。黙って、苦しみの重さを思いはかってもらうことが、何よりの慰め、励ましであり、前進する力になるのではないでしょうか。

人の苦しみの重さを思いはかり、祈る者であれますように。失敗が多い者なので。

また、なぜ苦しめられるのかわからなくても神様に叫び続け、神様との交わり、話し合いを切望するヨブの祈りも教えられました。

まだ最後までいっていないのですが、とりあえず書いてみました。聖書はいつも読むたびに違うことが教えられ、奥が深いです雪
| 聖書 | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
igりんのバプテスマ
12月29日(日)、igりん(小4)のバプテスマ式がありました。
お姉ちゃんや、同世代の仲良しさんたちは、ほとんど2年前に受けていたので、何か彼なりのタイミング、導きがあったのでしょう。

でも2年前には来ていなかったお友達がたくさん増え、この夏のバイブルキャンプでドドッと10人くらい一緒にバプテスマ決心をすることができました。感謝なことだなあと改めて思います。

先生のお話(エチオピアの宦官とピリポの話 使徒8:26〜)を聞いて、
「ぼくはもうイエス様を信じているので、バプテスマを受けたいと思いました。」

このシンプルな確信を、これからもず〜っと、持ち続けてほしいと思います。
イエス様を救い主として信じる者として、このイエス様に敵対する世の中で、しっかり立って生きていけますように。


主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。

しかし、ノアは、主の心にかなっていた。

ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
創世記6:5〜8

目に見えて日に日に堕落している世の中で、正しく聖書のみことばに従って歩むことがますます困難な時代になりつつあると思います。私の若い頃より、今の若い子の取り巻く環境は明らかに堕落しています。しかしそんな時代にあっても、ノアのように歩めますように。これが私の願いでもありますし、これからを生きる子どもたちへの願い、祈りです。

 
| 子育て | 10:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
心の空気清浄機
「あざける者は知恵を捜しても得られない。
 しかし悟りのある者はたやすく知恵を得る。」
 箴言14:6


青年クラスの日曜学校で箴言を学んでいます。あるときこのみことばから、

「心の中にあざける思いがあると、知恵が逃げていってしまうんだなあ」

と思いました。心の中からあざける思いをなくさないといけないなあ、あざける思いのない、きれいな澄んだ空気の心でいないといけないなあ、と思いました。

心の空気が悪いと、知恵が逃げていく。

おろかな私は神様の知恵がいつもほしいので、知恵が心に入ってきてくれるように、きれいな心にしておきたいです。
あざける思いのほかにも、人に対する恨みつらみ、不平不満、がっかりする心、なすべきことをしない億劫な心、前向きでない後ろ向きな心、人をさばく心、腹立たしい思い、思い通りにならないイライラ、疲れきった心、心配ごとや悩みに支配された心、そのほか数え上げればキリのない神様に喜ばれない思い…

そのような病的な思いがあると、心の空気がにごってきます。意識していると、心の空気がにごっていることに気がつきます。そういうときはなんだか姿勢も悪くなり、呼吸がちぢこまり、だいたい下を向いています。

そんなときは、「あ、心の空気清浄機しなきゃ!」と思って、深呼吸をして心の空気清浄機のスイッチを入れます。
新鮮な空気をにごった体内におもいっきり吸い込みスッキリします。

そして心の空気がにごっている原因は何だ?と神の前に考えます。
わかったら、「ああ神様これでしたね」と捨て去ります。
サッとすぐになくなってくれないものもありますが、そういうときも、「捨て去ることができますように」と願い、祈ります。神様はきっと助けて捨て去らせてくださいます。罪を捨て去ることは神様のみこころにかなうことですから。

「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」第1ヨハネ5:14

以上、最近私の中で流行っている心の空気清浄機についてお伝えしましたもみじもみじもみじ

このように罪を捨て去り、悔い改め、すがすがしく新しい歩みができるのは、私の受けるべき罪の罰を受けて十字架で死んで下さった救い主イエス・キリストのあがないにより、神の豊かなあわれみがあるからであり、そのことを覚えて感謝いたします。

「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」第1ヨハネ1:9
| 聖書 | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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