うれしいこと がっかりすること
 近頃思ったことが、ちょうど「詩」みたいな感じだったので、詩にしてみようと思い、なんとなくまとまったので載せておきます。



うれしいこと ひとつ
がっかりすること ひとつ

神様は
私が がっかりしすぎて つぶれてしまわないように
うれしいことを 添えてくださいます

うれしいこと ひとつ
がっかりすること ひとつ

神様は
私が かんちがいして 高ぶらないように
がっかりすることも 与えられます

うれしいこと ひとつ
がっかりすること ひとつ

神様は
私のことをよく知っている神様は
絶妙なバランスで
私を導いてくださいます


| 日常 | 22:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「助けて」が言えない
先日の24時間テレビのドラマで、車いすに乗って僕は空を飛ぶ、というのがありました。貧しく崩壊した家庭で育ち、悪い生活をしている時にけがをして、下半身不随になり、自殺まで考えた絶望の淵から立ち直っていくという、今はカウンセラーをされている方の話です。

自殺をするために岸壁にいる時に、心配して声をかけた人に、最初は「うるせえんだよ」などと言っていましたが、最終的に「助けて。僕はどうしたらいいんですか。助けてください。」と言えたことが、方向転換する一つのきっかけとして描かれていました。

その後、同じような境遇の親子に出会った時に、「助けてって、言えばいいんですよ」と言う場面もありました。

私は原作の本は読んでいませんが、ちょっと調べて目次を見た時に、

「助けて」が言えない

とありました。
私は自分が精神的に追いつめられていた大学時代の頃を思い出してみました。

だれかに助けてほしかった。だれかに相談してみたかった。ただ今の自分の正直な絶望的な心のありさまを、だれかに話したかった。でもなぜか、自分のことを知っている人には、とてもじゃないけど話せなかった。話す気になれなかった。そんなひどい状態であることを知られたくなかったのか、知られてはいけないと思ったのか…。話せば相談に乗ってくれる親切な人は、まわりにいくらでもいたと思うし、話せばよかったのに、と今なら思います。でもその時の自分にはなぜか、どうしても話せない、なにかがありました。

自殺を考えるくらいまで追いつめられている人の中には、そういう人は多いんじゃないかと思います。自分のひどい絶望的な状態を、自分の周りの人にはとてもじゃないけど知らせることができない。自分のことでまわりに迷惑をかけたくない。だれにも言えない。ひとりで悩んで追いつめられていく。

私の場合は本当にだれにも言えなくて、でも神様に祈る、という最終手段を知っていたので、周りに言えなくても上におられる神さまに向かって、全部話すことができました。そうしてひとつひとつ神様に相談し、みことばに導かれ、少しずつ回復し、今に至っていると言えます。今でも私はあまり心の奥底にあることを人に言えないほうですが、神さまにお話しする回を重ねるごとに、人にも話せるようになって来たと思います。

♪だれにも言えない心の中も イエス様はご存知だ グローリハレルヤ♪

という黒人霊歌をふと思い出しました。

そんなわけで私はそういう解決をしたわけですが、多くの方は相談できるこの本当の神様を知らないのですから、人に話せなければもう追いつめられていくしかないわけです。

追いつめられている人ほど、「助けて」が言えない。本当に助けが必要な人ほど、「助けて」が言えないでいる。このことを覚えていたいと思うのです。

そして、心の中では「助けて」と叫んでいるのに、「助けて」と言えずに、平気そうな顔をしてすごしている人の「助けて」がわかるようになりたいです。そして助けになりたいと思うのです。実際どうしていいか、私にはうまくできていなくて申し訳ないのですが…。


ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。
使徒16:9


この聖書箇所を見ると、すべての人の心を知っておられ、助けようとされていて、そのために私たちを用いられる神の御霊によって、導かれて歩んでいけば、助けを必要としている人のために用いられることができる、と教えられます。

そしてそのためには、私自身がふだんからよく神様とつながっておかないといけないなあ、と教えられているところです。

| 日常 | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
Fさんの召天を通して
 6年間闘病生活を送っておられたFさんが、1月3日天に召されました。46才の若さでした。Fさんはこの病がきっかけとなり教会に来られ、キリストを信じ救われ、いつも平安と希望に満ちた美しい笑顔を輝かせて、礼拝に来られていました。

教会の葬儀式や記念会は、ひとりの方の尊い人生と死を通して、私たち残された者に多くのことを語りかけ、何が大事なことなのか今一度心を改めさせられる尊い厳粛な場だと思います。本当に多くのことを教えられます。
 

「祝宴の家に行くよりは、
 喪中の家に行くほうがよい。
 そこには、すべての人の終わりがあり、
 生きている者が
 それを心に留めるようになるからだ。」
伝道者の書7:2


特に若くして召された方の場合、人の生と死というものは、人間の側でどうにかできることではないのだなあ、神様の御手のうちにあるものなのだなあ…、ということが改めて心に刻み込まれます。人間の一生のはかなさをふっと感じましたが、次の聖句に心が満たされました。
 

「主の聖徒たちの死は主の目に尊い。」
詩篇116:15


確かに人間の一生は、はかない。でも偉大なる愛の主がその小さい死を「尊い」ものとして大切に、目を留めて、心を留めて下さっている。それを思うと心が感謝で満たされました。それで十分です。いや、それこそが人が死ぬ時にあたって必要なものです…そう思いました。主が尊いと見て下さる、それに恥じないような歩みをしないといけないなあ、と心新たにさせられました。

はかない人生、しかしながら尊い人生、いつまで続くのかはわかりません。いったい私はどう生きていこうか?そう心の中で問うていると、人間の一生のはかなさ、むなしさを描いた伝道者の書の最後のシメのことばを思い出しました。


「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」
伝道者の書12:13

そうです、これがすべてです!ただそれだけです。アーメン。今年、いつもこれを覚えて歩んでいきたいです。
   









| 日常 | 23:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
伝道が足りないんじゃないですか!?
 数年前に「パワーフォーリビング」というテレビコマーシャルもしていた福音伝道用冊子をご自分で取り寄せて、教会に来られ信仰を持たれたIさんとの会話。

I「先生、教会は伝道が足りないんじゃないですか!?私こんな福音の話一度も聞いたことなかったですもん。聖書がこんな奥深い、こんなにすばらしいものだなんて全然知らなかった!」

私「そうですか〜。結構チラシも配るところには配ってるんですけどね〜。配っても配ってもひとつも反応がないということもあるし、Iさんみたいに一度も聞いたことがないという方もやっぱりおられるんですね〜!もっといろんなところに配っていかないといけませんね!」

I「教会のチラシなんて見たことなかったですよ。もし入ってたら、私何でも読むのがすきだから、絶対読んでたと思います。私、前は上新田に住んでたんですよ。でも上新田でも見たことなかったですよっ!」(注:私たちの教会は、今は箕面で、8年前までは上新田にありました。Iさんは今は箕面に住んでおられますが、以前は上新田にいたそうです。)

私「上新田のどの辺ですか?…う〜んその辺も何回も配ったことがありますけどね〜。」

I「あ〜、もしかしたらオートロックだったから、それでかな?」

…最近はチラシを配れないマンションも多いですからね。

I「十字を切ってるクリスチャンだっていう友人に、それ何の意味があるのか教えて、って聞いたこともあるけど、あんまりちゃんとした答えが返ってこないし、ホントに全然知らなかった!…続く…


あらためて、福音伝道用チラシなどを、反応がないからといって疲れてしまわずに、配り続けていくこと、特に配ったことがなさそうなところに配っていくことの必要性を感じました。数は少ないかもしれないけど、Iさんみたいに待っている人がいるかもしれない。私たちにはそれがどこの誰かはわからないけれども、その人のために配っていこう、そう思いました

「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」
マタイの福音書7:13〜

少ないけどいる!






| 日常 | 13:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
たましいよ、全きいこいに戻れ *
 今日,俳優のTさんが自殺をされたというニュースがありました。遺書はなく,仕事も半年先まで決まっており,まわりの人にはいつもと変わらないように見えたそうで,事務所の方は「狐につままれたようだ」,と言っておられました。

考えるのが好きで,まじめな方だったようです。

亡くなった今となっては,その理由はもう知ることができません。ただ私は,この方のようにまじめに探求する方こそ,「たましいの監督者」のもとに帰ることができていれば,どうだったかなあ…、残念だなあ…、と思いました。


あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが,今は,自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
ペテロの手紙第1 2:25


人にはたましいがあり,たましいには監督者が必要です。監督者のもとに帰っていないたましいは、羊飼いのない羊のようにさまよっている、と聖書に書いてあります。


また,(キリストは)群衆を見て,羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。
マタイの福音書9:36


そしてキリストは,さまよっている一人のたましいを,愛しているので,探し求め続けていると聖書に書いてあります。


もし、だれかが百匹の羊を持っていて,そのうちの一匹が迷い出たとしたら,その人は九十九匹を山に残して,迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。そして、もしいたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは,天にいますあなたがたの父のみこころではありません。
マタイの福音書18:12〜


たましいの監督者のもとに帰るとは,どうしたらいいのでしょうか。最初の引用聖句の前の節にあるように,私たちの罪をその身に負って身代わりに死んでくださったキリストを自分の救い主と信じ、罪を赦して頂き,たましいの創造主であり監督者である神様との交わりを回復することです。


そして自分から十字架の上で,私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ,義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに,あなたがたは、いやされたのです。
ペテロの手紙第1 2:24


たましいの監督者がいらっしゃること,自分のたましいはそこに帰るべきこと,その時に初めて得られる本当の平安があることを,多くの方に知って頂きたい、そして自分のものとして頂きたい,そう願っています。


私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。
主はおまえに、良くしてくださったからだ。
詩篇116:7







| 日常 | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
夢を持つ* 〜小学校卒業式で〜
 昨年はigりんの幼稚園のPTA会長をしていました〜!人数が少なくてせざるを得なかったのですが、色々教えられることがあり、それなりに有意義でした(でも今思えばものすごく忙しかった。もう1回したいとは思わない…)。その一つとして、小学校の卒業式に来賓で出席した時に教えられたことがあります。

卒業生がひとりずつ名前を呼ばれて、校長先生から卒業証書を受け取ります。そのあと、「私の夢は〜です。○×△◇してがんばりたいです。」と、それぞれの夢を語ります。それを60人分くらいでしたか、ひたっっすら聞きました!長い間ず〜〜っと聞いていて思ったのは、やはり、はっきりとした夢を持っている人は、それに向かって今何をするべきか、生き方がはっきりしているということです。実際にその夢が叶うかどうかは別としても、その人の将来について安心できるという感じがしました。卒業後のその人の歩みはぶれることなくまっすぐになるだろう、困難があっても夢に向かって上に向かっていくのだろう、と見える気がしました

夢を持つことは大事だと、一般的によく言われます。私は、あまりその意味がわかっていなかったと思います。私も小学校卒業時に、将来の夢を書く機会がありました。私はもともと冷めた所があり、確か卒業文集に、「普通のOL」と書いたと思います〜。それが正直な所でした。だいたい将来ってそんなもんでしょ?て感じですかね。卒業式では各自の将来の夢が本人の絵付きで舞台にスライドで映し出されるのですが、それにもそう書こうとしたら、母親から「なんでそんな夢のないことを書くんだ、もっと子どもらしい夢はないの…」と言われたのを覚えています。確かにそのとおり…。で、しかたがないので、子どもらしい夢のあることを精一杯考え、なれるはずもないのに、などと冷めた思いで「ピアニスト」と書きました。結果的には、今教会でピアニストをしていますけど。そんな私ですので、夢だ夢だといわれると、なんでみんなそんなにセンチメンタルなのかな〜という感じで冷めてしまう所がどこかありました。スミマセン

しかし、前述の卒業式で、大人になった私から小学校の卒業生を見る時に、夢を持っている人の良さ、まっすぐさ、強さを感じました。夢を持つって大切なことだなあと、生まれて初めて心底思えました。そして、みんなの夢を聞きながら、では私の夢は何だろうか?と思わず自分自身に問いかけました(とにかく60人分聞いていますので、考える時間がたっぷりありました)。もともと究極的には天国に行って主と会う日のことがビジョンでしたが、この世に生きている間に成し遂げたいことの具体的なビジョンというのでしょうか。自分自身によ〜く問いかけてみると、私の中には「こんな教会を作っていきたい」という志があることがわかってきました。それまでは現実だけが大きく見えて、志が埋もれてしまっていたのでしょうか。しかし、私の夢はこれだ、と思うと、不思議に力と希望がわいてきました。

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」ピリピ2:13

そのときによって具体的なイメージは変わってくるかもしれませんが、私の夢は、たぶんいつになっても、こんな教会を作って行きたい、というものであると思います。

夢を描くようになってから、現実よりも夢の方に心の目が向くようになり、心が軽く、明るくなり、エネルギーもわいてきました。だから夢は大事だって言われるんだなあ〜と、今さらですがわかったような気がしました

夢を見ると言っても、絵空事ではなくて、現実目標としてしっかり見定めること、そしてそのためにできることをしていくことが大切なのかなと思いました。

私の大好きな忍耐の人ヨセフが「夢見る者」と兄たちにからかわれたことを思い出しました(創世記37:19)。でもヨセフは長〜くツラ〜い試練を忠実に耐え抜いた後に、主によって夢が現実になるのを兄たちとともに体験しました。

夢見る者でありたいと思います!

| 日常 | 10:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
はじめて*
 いきなりですが、最近物覚えが悪くなりました。大切なことをどんどん忘れていくのがもったいないな〜と思っていた昨今でしたが、ブログに書き留めていこう、と思い立ち、主人に立ち上げてもらいました。好評だったメニュー、教えられた聖書のみことば、覚えておきたい賢人の言葉、その他日常の中でふと教えられたことなどを書き留めていきたいと思っています。日記ではなく覚え書きのつもりなので更新がたま〜にかもしれませんが、はじめてみま〜す
| 日常 | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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